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 7月25日 くそ暑い 夜行と駅   |
 31.メスキータ
31.Vol2
31.Vol3
花の小径 |
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11世紀、イスラム教徒の進入によってカリフ王国の首都になったこの町は、当時100万人の人口を抱えていたほど(現在約31万)。この町の魅力は何といっても回教文化。メッカに続く世界最大の回教寺院があり13世紀にキリスト教徒が奪い返すまでにイスラム、ユダヤ、キリスト文化が融合していった。
何と9時半起床。よほど疲れていたのかも。ただ、市内観光は10時以降しか開かないし歩いて数分の所なので荷物はそのままに宿を出る。 そういえば昨日昼から何も食べていない。まあいい、とりあえず歩こう。 31.メスキータ(3)(Mezquita)は不思議な雰囲気が漂う所。要はイスラム教のモスクだけど、歴代のキリスト圏とイスラム圏の王が幾度も改造を行ったために中性的な雰囲気がある。入口が一つしかないために中は薄暗く赤と白に塗り分けられたアーチが続く様子はかなり幻想的。敷地内のミナレットの塔に登れると書いてあったけど閉まっていた。メスキータを出て川に向かうとかなり黒く染まって古そうなローマ橋がある。街中を歩いていると細く曲がりくねった道が多い。そのうち観光客にまぎれて”花の小径”と呼ばれる所に。狭い通路のベランダには小さな花瓶が多く飾ってあった。 32.闘牛博物館(2)(Museo Municipal)はスペインならではの美術館。中は想像通りの退屈な物だったけど、牛の頭の剥製は死んでいるとは分かっていても迫力があった。一通り済んだので宿に帰って荷物を取り、料金を払う。ガイドブックに15%引きと書いてあって昨日の夜にそれを伝えたのに値引きはできないとか。働かないくせに金にうるさいスペイン人。それはそれで次の目的地グラナダへ。 |
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 コルドバ → ババディラ → グラナダ |
 33.アルハンブラ宮殿
33.Vol2 33.Vol3
33.Vol4 33.Vol5
33.Vol6 33.Vol7
 33.Vol8
33.Vol9 33.Vol10
宮殿からの景色 |
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イスラム勢力がヨーロッパのレコンキスタ(国土再征服運動)に対して最後まで抵抗したのがグラナダでその拠点となったのがこのアルハンブラ宮殿。8世紀の初めにジブラルタル海峡を渡って来て、1492年までイスラム勢力はヨーロッパに。この年にスペイン女王イザベラ一世の援助を受けコロンブスがアメリカ大陸を発見。同じスペインでもこの頃はいろいろなことが起こっていたみたい。
ババディラ経由でなければ来れないのが南スペインの列車の便が悪い証拠。 列車に乗ること4時間。アルハンブラ宮殿で有名なグラナダに到着。この町の目的は宮殿だけなので着いてすぐにタクシーに乗る。たいていの人は 33.アルハンブラ宮殿(3)(Palacio de la Alhambra)を耳にした事があると思う。駅でコインロッカーを見つけたけど思ったより高かったのでそのまま荷物を持って行く事に。ただ予想通り宮殿にはロッカーはなく後で後悔。駅で日本人がいたのでタクシーをシェアー。メインの入口とは違う所から入ったので少し混乱した。(メインの入口から入ろう)宮殿自体は細長い構造をしている。離宮(ヘネラリフェ)から見る景色はなかなかの物だったけど、全体的に土地が乾燥しているのでほこりっぽく品のいいお城とは言えなかった。入口が分かり難い所にある建物もあるのであの大きい宮殿内を最低3往復した覚えがある。(バックパックを背負っているのを忘れないように)ゲートがあって、行ったり来たりしていたので係員のおばちゃんが不機嫌そうな顔をしていたのを覚えているけど”どうしろって言うんだ!”さらに運悪いことにカメラを落とす。(レンズは大丈夫だったけどのぞき窓にひびが)ついていない。目的地をやっと見つけて周り終えるのに2時間程かかってしまった。思ったより大きい宮殿でもない。もっとゆっくり歩きたかたっけど。その後王室礼拝堂とカテドラルに行ったけど開いていない。歩いて駅へ。こういう時にかぎって道に迷う。結局最初にロッカーを使わなかったのが最後まで尾を引いた。駅で次の日の列車の予約をしたもののプラットホームでボーとしているといい感じの列車が入ってくる。すぐに出発。まさに"Let it be.”。時刻表によると2つの駅を経由してセビーリャに行けそう。電車の中で2人の日本人と3人のスペイン人に会う。しばし談話。アミーゴ(友達)、アスタラビスタ(また会おう)、アディオス(さよなら)を習う。 |
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 グラナダ → リナレス・バエーザ |
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 7月26日 くそ暑い 夜行   |
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 リナレス・バエーザ → コルドバ → セビーリャ・サンタ・フスタ駅  |
 34.スペイン広場
34.Vol2 34.Vol3
35.黄金の塔
 37.アルカサル
37.Vol2 37.Vol3
 37.Vol4 |
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スペイン美術史の3巨匠、ベラスケス、ムリーリョ、バルデス・レアルを生んだ町。15世紀から16世紀にかけて西インド貿易の独占によって栄えた町でローマ・イスラム時代の遺跡が多い。
引き続きセビーリャに行く途中。プラットホームで2時間待ち。乗り継ぎはそれほどよくないけどとりあえずセビーリャに行けるので仕方ない。こんな時もある。 いまだに特に夕食なし。時間を短縮しようとするとそれなりにいろいろあるけど、それだけいろんな所に行けるのだから肯定的に受け止めないと。セビーリャの最初の観光地は 34.スペイン広場(3)(Plaza de España)。半円状の扇型をしていて、その両端には塔が立っている。かなり新しく見えた。建物の下の方には絵が描かれたタイルが張り付けられていて、スペインのそれぞれの県の歴史が分かる。入場無料でそれも朝に行ったので誰もいない。思ったよりきれいで面白い形をしているのでびっくりしたけど、はとの糞が半端じゃないのでその異臭はすごい。 35.黄金の塔(2)(Torre del Oro)は13世紀に回教徒が建てた正12角形の塔。小さな塔で中は海洋博物館。結局は何も特徴のない所。 36.県立美術館(2)(Museo Provincial de Bellas Artes)へは自分の足で行った。今までの経験からは地図通りに行くと迷うのは決まりきっていたけどすんなり行けたのでびっくり。 37.アルカサル(4)(Alcázar)はアラブの幾何学模様だらけ。アルハンブラ宮殿とはまた違って整備されていた。日曜日だったので無料。それにしてもアラブとヨーロッパの文化がなんとも言えない感じで混合したスペインは言葉では言い表せない雰囲気がある。 38.カテドラル(5)(Catedral)はセビーリャのお勧め。ヒエルダの塔(鐘楼)がくっついていて構造が不思議。高さが97.4mあるのにその中には階段が一つもない。展望台に上るには33本の坂道を登る。カテドラルは規模、芸術性共に非常に高いけどトレドのものには負けてしまう。中にあるコロンブス(イタリア人って知ってた?)の墓はさすがにスペインを代表する有名人。4体の銅像が石棺を担いでいてその迫力は今までに見たどの石棺よりもすごい。帰りに闘牛場を見たけどそれに入る元気はなかった。暑い。早くバルセロナに行きたい。体が溶けてしまいそう。駅に帰って夜行に乗る。13時間の列車の旅。かなり睡眠できるので体力が回復しそう。 |
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 38.カテドラル |
 コロンブスの墓 |
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 セビーリャ・サンタ・フスタ駅 → バルセロナ・サンツ駅  |
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 7月27日 まだまし ユース   |
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定刻到着。宿は2件目で見つかる。途中すりに遭った日本人の友達、錦織さんにあってユースへ。汚いユースだけど仕方ない。1200円で泊まれれば文句も言えない。( この旅で最低料金の宿泊施設)
ガウディ、ダリ、ミロといった画家を生んだ町。あのピカソもマラガで生まれ青年時代をここで過ごし、その後パリに向かっている。1975年フランコの死と共に独裁政権が崩壊すると、スペイン各地で地方分離運動が起こり、カタルーニャ(バルセロナを含むスペイン東部の地域)も1977年に自治権を獲得。(スペインは大まかにカタルーニャとカスティーリャに分かれている。それに加えバスク地方など民族間の対立が激しい)当然公用語としてカタルーニャ語を公用語として話す。(カスティーリャ語とフランス語の中間のような言語)ここではスペインの代名詞となっている闘牛やフラメンコもない。 |
 ガウディ Vol2 |

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錦織さん :ユースホテルで偶然出会う。財布をすられそうになってへこんでいる所を友達になる。気取った所がまったくなくて大人なので話しやすい人。年が自分より上なのに気軽に話せる。 |
 39.グエル邸
39.Vol2 39.Vol3
39.Vol4
ランブランス通り
Vol2
40.コロンブスの塔
40.Vol2
 42.カテドラル |
友達は風邪を引いたのか体調が悪かったので自分一人で街に出る。 ランブランス通りは木が両脇に植えられていて開放的な雰囲気。この通りには大道芸人がいて静止する芸をする人など他の大都市の物とは少し違う。レイアール広場がバルセロナ最初の観光。きれいだったけど鳩や浮浪者がたくさんいて臭い。 39.グエル邸(4)(Plau Güell)へ。外見がすでに他の建物とは違い自己主張している。たいていの人はそこで立ち止まり見上げていた。年代物の建物の中にはくねくね曲がった柱やアーチ、変わった形をした窓や意外な所にある吹き抜けなど生活に支障がない中にデザインが溶け込んでいた。屋上にも理解不可能なオブジェが立っていて、そのうちの一つがバルセロナオリンピックのマークのモデルになったとか。館内は英語かスペイン語のガイドに付いて行くことになる。 40.コロンブスの塔(3)(Monument a Colom)からはバルセロナの街が一望できる。頂上の展望台は思ったより狭くて通路は人一人通るのがやっと。ここから見るランブランス通りの木々は涼しげ。サン・ジョセエプ市場はいろんなフルーツが並んでいて香りも見た目もよかった。魚屋もあったみたいだけど閉まっていた。少しフルーツを買ってバルセロナの最大の見所、 41.サグラダ・ファミリア聖堂(5)(Temple de la Sagrada Família)へ。1882年に建設が始められ完成には少なくとも200年はかかると言われている。出来上がっているのは地下礼拝堂(教会です)、アプス塔(8本の塔)と玄関一つのみ。普段ガイドブックに載っている塔はアプス塔。実際はこれに中央塔(160m)が立つらしい。ピカソに通じるような何とも不思議な世界。子供っぽい想像の世界だけどそれでいて現実味もあるような…曲線を多用していてなんとも言葉では説明できない。(説明になっていない?) 42.カテドラル(3)(Catedral)は狭い通路を進んだ先。他のスペインの教会と同様に装飾がいたる所にされていてすごいきれい。ただここまでいろいろな教会を見るとあまり印象もない。特にサグラダ・ファミリア聖堂の後だとなおさら。一日の締めくくりは錦織さんとの夕食。久しぶりに2時間程かけていろんな事を喋った。聞き上手なのでこちらから喋りまくったような記憶がある。食事中いきなり広場でけんかが始まる。警察が来た頃には一方はすでに倒れて動かない。何とも血の濃い奴等。久しぶりに充実した夕食だった。お酒が飲めれば… |
 Vol2 Vol3
サン・ジョセエプ市場 |
 41.サグラダ・ファミリア聖堂
41.Vol2 41.Vol3 41.Vol4(33?) |
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 7月28日 まし 夜行   |
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9時半に起床。荷物を預けに駅へ行った後、 43.ピカソ美術館(5)(Museu Picasso)へ。その後モンジェイクの丘へ。ケーブルカーで上に上がったけど整備されていてよかった。すぐにゴンドラに乗り換えて 44.モンジェイク城(1)(Castell de Montjuic)へ。地中海とバルサの街が一望できる。ここでしばし昼食。中は軍事博物館でたいした物じゃない。その後の 45.ミロ美術館(4)(Museu Fundació Joan Miró)と 46.カタルーニャ美術館(2)(Museu d' Art de Catalunya)は対照的。ミロ美術館が現代なのに対してカタルーニャ美術館は古典中心。(もちろんカタルーニャは退屈)スペイン村はオリンピックの会場になった場所。大きな広がりを持つ地域でいろんな競技場があったようだけどサッカー場に行っただけで終わり。今日の楽しみの一つは 47.グエル公園(4)(Parc Güell)へ行くこと。中心街から少し離れていて住宅街を突き進むとサグラダ・ファミリア聖堂で見たあの曲線が目の前に広がってくる。あらゆる所にあるモザイクやでこぼこした壁などが彼の作品と証明する。ガウディ美術館が中にあるけど時間がなかったので行けなかった。観光客も多かった。まるで子供の想像力をそのまま形にしたような世界にはほっとする。バルセロナの印象はアントニオ・ガウディに尽きる。ピカソやダリなどに通じるような世界があり、ほっとするようなデザインばかり。自分の人生の間にサグラダ・ファミリア聖堂の完成形が見られないのは残念。今までには完成に数百年をかけた教会などはよく聞いたけど、現代も建設中の巨大な教会があるとは。この町でミロ、ダリなどの個性的な芸術家が生まれたのも分かるような気がする。バルセロナに来て変わっていると思った事は使われている言語が二つある事。スペインでは標準語のカスティーリャ語とバルセロナなどで使われていてフランス語に近いカタルーニャ語がある。(要は違う人種)マドリッドとバルセロナでは言語も違えば文化もかなり違って、一つの国の中に二つの国があるようなもの。ここらへんの民族関係の事は日本人には分かり難い(想像しがたい)けど、ヨーロッパを歩いていると必ず民族問題・領土問題に当たる。つい数十年前の1975年まで独裁政権があったこともヨーロッパの、スペインのもう一つの顔。これで長いこといたスペイン(一週間はいたと思うけど)ともお別れ。とにかく”暑く血の濃い国”と言うのがスペインの印象。闘牛とフラメンコが見られなかったのは非常に残念。またの機会に。再びフランスへ入るために列車に乗る。 |
競技場 Vol2
 45.ミロ美術館
どこかわからない
 47.グエル公園
47.Vol2 47.Vol3 |
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 バルセロナ・サンツ → セルベレ → アルル |
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 スペイン人とは?  |
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「 ピレーネを超すとアフリカ」と言ったのはナポレオン。そこまで言わなくても実際にスペインは他のヨーロッパの雰囲気と明らかに何かが違う。第一にイスラム文化が溶け込んだ独特の文化を持っている。殺伐な荒々しい風景が車窓から広がりそれがスペイン人を闘牛やフラメンコのように情熱的に荒々しくしたのかも。アメリカの作家、ヘミングウェイのスペイン熱は有名。(「誰がために鐘は鳴る」)1939年、およそ100万人の生命を奪い、100万人が難民と化し、人民戦線側の20万人が処刑されるという膨大な犠牲を払ってスペイン内戦は終結し、その結果生まれたのがフランコ総統の率いる軍事独裁政権だったのは皮肉的。それが自分の誕生年の1年前まで続いていたのには驚き。血の濃いスペイン人。行動のめりはりがあって気分屋という印象もある。それがフラメンコや闘牛に結びついているし、夕食時に見たけんかもそう。それと同時にシエスタと呼ばれる習慣もスペインらしい物。訳すと昼寝で、昼寝をする習慣がある。日本人も当然昼寝はするけど、多くの会社が昼食後の2時ぐらいから数時間の長い休憩に入る。家に帰って昼食を取った後、昼寝をし、再度出社すると言うのがシエスタ。何とものどかな国に見えたけど観光客にとってはたまったものではない。計画を立てるのが大変だった。夏の日中の気温が40℃を軽く越えてしまうので必要なのかもしれないけど、それにしてもこんな国では日本のような近代化とか工業化と言った言葉から程遠く、大航海時代の栄光をいまだに引きずらざるを終えないのも分かるような気がする。何ともうらやましい習慣だけど、日本には到底浸透しないものだし、浸透してほしくないもの。英語の習得度は旅行中でも最低レベルで、当然英語が第2外国語であるだろうけど、日本の物とは感覚が違う様子。何をするにも大変で、少し難しい単語になると分からない。それがスペイン人の英語。ただ変に外国人を(日本人)偏見する人が少なかったような気がする。いろんな人種がヨーロッパにはいるもんです。 |
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 7月29日 すごしやすい ユース   |
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炎の画家、ゴッホがキャンパスに描いたプロヴァンス。紀元前6世紀に原始リグリア人の集落が発見されたアルルは紀元前46年の秋ジュリアス・シーザーによってローマ植民都市が築かれた町。
これまたパスポートチャックなしでフランス入国。午前4時頃にアルルに着いてから9時ごろまでホームで睡眠。小さな駅で2〜3人しかいなかったので少し危なかったかも。コインロッカーが壊れていたので駅の切符売り場に荷物を預けて出発。 48.古代劇場(2)(Theatre Antique)は思っていたよりも小さく何もなく印象がなかった。その後は 49.古代フォーロム地下回廊(2)(Cryptoportiques du Forum)を探したけど同じ所をぐるぐる回って例のごとく見つからない。結局美術館の中にある事が分かる。分かりにくすぎ!外見からは想像つかないほど地下は広くこれだけをよく掘ったなと思わせる。かび臭く明りも十分でないので中はかなり恐い。客もまったくと言っていいほどいないのでたまに地下内で誰かと会ったりするとびっくり。アルルのメインの一つが円形闘技場だったけど闘牛があるとかで閉まっていた。フランス一大きい闘技場跡で頂上からの景色がきれいだと聞いていたので閉まっていたのは非常に残念。この町にはゴッホが描いた”アルルのはね橋”(複製)もあるけど時間をかけていくほどの物でもないと思ったのですぐに駅へ直行。途中市場があったのでフルーツを少し買って出発。観光客が極端に少なかった町。 |
 48.古代劇場 |
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 アルル → マルセイユ → ニース → モナコ・モンテカルロ駅 |
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マルセイユを過ぎてしばらくすると きれいな海岸線が延々と続く。マルセイユに泊まる事もニースに泊まる事もできたけど、結局何もなさそうだったのでモナコへ直行。ただ海岸線は幅のある砂浜ではなかったものの透明の真っ青な海岸が続いていた。これがマリンブルーなのか?と思ったほど。その砂浜に横たわって日焼する人から海で泳ぐ人まで。海岸によってトップレスの所とそうでない所があって面白かった。とにかく長いのでいたる所にプライベートビーチがあって、こんな所で泳げたらなと思ったけど...
面積はわずか1.95平方Km、人口3万人、とヴァチカン市国に次ぐ世界で2番目に小さい国。公用語はフランス語で通貨もフランスフラン。モナコと言えばリッチで華やかな街というイメージが思い浮かぶけど実際高級社交場としてのカジノ、グレース・ケリーが嫁いだ大公家がある。ただ自分にとっては何といってもF1グランプリやモンテカルロ・ラリーのほうが。
モナコの入国検査などは何もない。駅も上下2線しかなく、日本の地方都市のよう。すぐにユースを見つけて 50.大公宮殿(4)(Palais du Prince)へ。小高い丘の上にあるモナコ公国の宮殿。衛兵の交代もあり(見れなかった)、制服を着ているけどどう見ても暑そう。モナコと言えばまず思い付くのはグレース・ケリー。ハリウッドスターだった彼女はモナコ公国の王妃になって最近はよくダイアナ元妃と比べられたりする。結局最後は暗殺されてしまったけど。(どうして王妃は悲劇的な死が多いのでしょう?うーん、謎めいている)とりあえず宮殿内は豪華そのもので、さまざまな皇室・王室から送られた宝石と肖像画のオンパレード。グレース・ケリーの肖像画だけは存在感があった。若い頃の物ではなく少し年を取ってからの物で気品、威厳があったし、きれいだった。有名でなくても立ち止まってしまう絵。ガイドはフランス語と英語のテープで30分程かかる。隣には小さな博物館もあって勲章や家系図からありとあらゆる物がぎっしりと並んでいて華やかな感じ。その後はF1のコースをぐるりと一周して観光終了。スーパーで買ったパンとハムで夕食を取っているとユースのみんなが集まって来てお酒も入り始める。一人旅をしている人が多くて、みんな旅の苦労話やお勧めの観光場所などの情報交換をする。パックツアーでは絶対に味わえないのがこの情報交換。初めて会った世界各国の人たちと英語を通じて会話をする。みんな普段は周りに何かと注意を払っているけどこの時ばかりは鎧を脱いでばか騒ぎをする。ここで英語を喋れるかどうかは問題。(勉強して行こう)ほとんど日本の事を知られていないのは残念だったけど。 |
海岸線
 モナコ
Vol2 Vol3
Vol4 |
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 7月30日 すごしやすい 安ホテル   |
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朝食後、手紙を日本に送ってミラノへ出発。( モナコの切手は有名できれい) |
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 モナコ・モンテカルロ駅 → ベンティミグリア → ジェノヴァ → ピサ |
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途中でカナダ人と会って少し話をする。 |
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パトリック :ごっつい大きなバックパックで旅行していたカナダ人。(当然カナダ国旗のワッペンがバッグにはついている。カナダ人はなぜか旅行中唯一国旗をバックに貼り付けている人種。)なぜか忘れたけど話がはずんでピサまで行く事になる。ケベック出身でフランス語を話す。二人とも英語を駆使して会話を楽しむ。 |
 51.ピサの斜塔
51.Vol2 51.Vol3
51.Vol4 |
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11世紀の”斜塔”で有名なピサは、その昔、4大貿易都市の一つとして栄えた町。この斜塔、1173〜1350年にかけて建造された8層の円塔で、直径17m、高さ約55m。ガリレオ・ガリレイを生んだことでも知られている町。ドゥオモ(教会)の天井から釣り下げられたランプが揺れるのを見て「振り子の原理」を発見したとか。
列車の時刻表を見るとジェノヴァからミラノへのいい乗り換えがなかったのでパトリックとピサの斜塔を見に行く。世界中であまりに有名な 51.ピサの斜塔(5)(Torre Pendente)。ピサの斜塔は名前通りほんとに傾いているけど、この傾き方は尋常でない。遠くから見た斜塔は確かに傾いているけど、近くによると今にも完全に倒れてしまいそうなほどで感動した観光地の一つ。残念ながらそのあまりの傾きに今は閉鎖中で斜塔には登れない。(登れた人がうらやましい)塔の下の方は重りで何とか倒れるのを防ごうとしていたけど、そのさまがあまりにも単純で微笑ましかった。(真っ直ぐしても観光客が来なくなるし...)他にも納骨堂や洗礼堂、ドゥオモ(教会)などがあったけど斜塔の感動には勝てなかった。パトリックも感動していた様子。駅に帰ると時間があったのでピザを食べる。これがまたパリっとしていてうまい。本物が食べたい…短い間だったけどパトリックとお別れの時間。パトリックはローマへ、自分はミラノへ。でっかいバックパックを背負って彼は列車に乗った。 |
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 ピサ → ジェノヴァ → ミラノ  |
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何百年もの歴史に培われてきた建築物や芸術作品群とファッションで有名な町。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」などの歴史的な作品群はヨーロッパのキリスト教の歴史の一端。
午後11時頃に到着。駅に着いて一度は宿を捜すけど 一つ星のホテルで1万円ぐらいと言われて切れてしまう。その後4千円ぐらいと急に値下げしてきたけど”信じられるか!”と言って出てくる。駅に戻って休憩所で休むけど少し危なそうな気配なので仕方なくもう一度宿を捜しに。最悪な事だけは避けないと行けないので。かなり歩いて宿を見つけた時は汗だらだら。改装中か何かで、明日から休業するとか。日本人が中にいてなにかしていた。ツインの部屋にシングルの値段で泊めてくれたのでダブルでラッキー。シャワーを浴びた後はぐったり。 |
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 7月31日 すごしやすい 夜行   |
スカラ座
ガッレリア
 54.ドゥオモ
54.Vol2 54.Vol3
54.Vol4
54.グラツイエ聖堂
 57.スフォルツエスコ場
57.Vol2 57.Vol3
57.Vol4 |
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8時半起床。駅に荷物を預けた後は 52.ブラレ絵画館(3)(Pinacoteca di Brera)へ。入口は2階で分かり難い。スカラ座の脇をぬけたいしたことないなと思っていると 53.ポルディ・ペッツォーリ美術館(2)(Museo Poldi Pezzoli)へ。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを抜けると目の前に巨大な 54.ドゥオモ(5)(Duomo)が。たくさんの小さな塔が所狭しと立っていて教会にくっつく森のよう。聖堂を飾る彫像は二千を超すと言うからその壮大さが分かるかも。すごすぎてうまく言葉にならない。すべてが石でできているのも信じられないけど、中に入るとステンドグラスの量にも驚く。教会の上にも上がる事ができて見えない所まで細かく作ってあるのも信じられない。どうやって作ったのか分からないぐらい。ここに来る前に日本人に出会う。カフェでくつろいでいたので声をかける。イタリアの日本人の観光客はヨーロッパ一多いと思うけど多くがツアー客で、みんな鎧をかぶっている。その人いわく、地球の歩き方を見せてくれと言っても貸してくれなかったとか。どうして日本人は海外に出るとあれほど冷たく、品のない”猿”のようになってしまうのだろうか?そこらへんにヨーロッパ人に受け入れられない日本人の理由があるような気がするけど。(旅の恥はかき捨てと言うことわざがある事自体、日本人らしい)そんな事は置いといて旅はまだまだ続く。ドゥオモ広場は写真を撮る観光客と鳩でいっぱい。それを横目に少し歩いて 55.サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂(3)(Santa Maria delle Grazie)へ。このあたりから雨がぱらつき始める。ここにはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があった。教会の中には入れない。ただ晩餐を見るだけで警備が厳しいわりに感動が小さかった。それも修復中で照明も暗く何がなんだか。 56.ダ・ヴィンチ科学技術博物館(2)(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnica "Leonardo da Vinci")はすべてまわっていたらきりがないぐらい充実していて、人によっては面白くて仕方ない場所かもしれない。何とか雨も上がって次ぎは 57.スフォルツエスコ城(3)(Castello Sforzesco)。ミラノ最後の観光は 58.アンブロジアーナ絵画館(3)(Pinacoteca Ambrosiana)。ミラノ駅は巨大な美術館みたいに装飾がされていて豪華。どうせなら美術館でも作ったらと思うほど。ただ浮浪者が多く臭い。ロッカーから洗濯物を取り出してコインランドリーへ。上半身裸で洗える物すべて洗っているとスニーカーを洗濯機で洗うイタリア人発見。上には上がいるもの。洗濯機の扉が衝撃で何度も開いてしまって洗えない。(がったんがったん言っていた)必死で扉の前に立っている彼を見ると笑えて仕方なかった。思ったよりスペインに時間をかけてしまったのでスイスへ。約束していた友達の家に泊まるために早めにスイス入り。 |
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 ミラノ → ドモドッソロ → ジュネーブ |
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国境で3時間程待つ。客はほとんどいなくて少し駅で寝た後に列車でスイスへ。 |
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 8月1日 涼しい ユース   |
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永世中立国スイスの中で世界の平和に貢献している町。国連ヨーロッパ本部や国際赤十字の本部をはじめ、多くの国際機関の事務所がある町。スイスにおけるドイツ語圏の代表がチューリッヒなら、フランス語圏の代表はジュネーヴ。
早朝にジュネーブに着いてまず駅でシャワーを浴びる。設備が最新の物できれい。シャワー室の横に小さな部屋があったので着替えもしやすかったし機会があったら使ってみるのもいいかも。ただ少し高かったけど( 千円程)。ロッカーに荷物を預けてエンブラン橋へ。ここからはレマン湖と大噴水が見える。このレマン湖の水は本当に透き通っていてカモやアヒルが泳いでいたけど魚が見当たらなかった。(おそらく水が冷たすぎるのでは?)こんな湖がいまだに残っているのかといった感じ。田舎に行けば日本にもあるけど(北海道?北海道が田舎と言うわけではないけど。)世界中に知られているジュネーブにあると言うのが信じられなかった。これから行く総てのスイスの湖という湖、川という川は透き通っていて世界の自然公園スイスらしい所。大噴水は時間が早すぎたのかまだ動いていなかったので、英国公園の花時計を見て 59.サン・ピエール寺院(3)(Cathédrale de St. Pierre)へ。この教会はそれほど大きな物でもなければぱっとしたものでもなかったけどカルヴァンによって宗教革命が行われた所らしい。塔に登るとそこからジュネーブの町が一通り見えてきれい。上がった時にはすでに大噴水が動いていた。この噴水、高さが140mもあって、町中のどこからでも見える。その後に 60.美術歴史博物館(3)(Musée d'Art et d'Histoire)に行ってジュネーヴ大学の宗教改革記念碑へ。敷地内の壁に大きな石碑が立っていたけど、元々日本人にとって宗教家は無縁の存在。パッとしない。街の南、旧市街を一通り見たので、エンブラン橋の近くのルソー島に行ってルソーの像を見た後にレマン湖の脇を北に向かってモン・ルポ公園へ。この公園の中にはガット本部があったけど、まったく警戒と言うものがなかった。柵も門もなく、普通の建物そのもの。これがアメリカだったらと思うとそのギャップに驚く。それから線路をまたぎ 61.国際連合ヨーロッパ本部(4)(Le Palais des Nations)へ。ニューヨークの物と比べてやはり警備が甘く感じた。(入る時には当然それなりのチェックがある)中は当然ガイドについて回る事になるけど(独りで歩く事は当然できない。国連です)中の雰囲気はニューヨークの物に似ていた。 62.アリアナ美術館(2)(Musée Ariana)に行った後はローザンヌへ移動。スイス自体が永世中立国と言う事もあって国際機関の事務所が多くあるのがジュネーブ。世界中に知られている町なのに大きさはというとそれほどでもない。町の中の雰囲気もいそいそとしているわけでなく、なんとも平和的。スイスに着くとイタリアとの気温差が大きいのに驚く。もちろん夏だけど太陽が真上に上がってもうだるような暑さではない。昼間のスイスは動かなければ長袖がいるほど。町並みがきれいで(日本並み)大抵の設備は新しくきれい。 |
 レマン湖と大噴水
花時計
カラフルな屋根 |
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 ジュネーブ → ローザンヌ |
 61.国際連合ヨーロッパ本部
61.Vol2
ローザンヌ駅 |
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レマン湖観光地の一つがローザンヌ。日当たりのいいなだらかな丘陵いっぱいに広がるブドウ畑に世界中の金持ちの別荘があるとか。IOC(国際オリンピック委員会)の本部もある。
ローザンヌに着いてすぐにホテル探し。一つ目のユースはすでにつぶれていた。2つ目に行く頃には涼しいスイスでもすでに汗をかき始めていた。ユースで日本人と少し話して レマン湖へ涼みに。8月1日はスイスの建国記念日。湖ではいたる所で花火を楽しむ家族連れがいっぱい。本格的な物から日本のスーパーなどで売っているような子供用の物まで。ローザンヌだけでなく遠くはジュネーヴまで見えて所々で大きな物も上がっていた。間違って飛んで来た花火が近くに小さなかわいい女の子に当たってマンマと言いながら泣いていた。その隣でおやじが”気を付けろ!”と怒っているのを見るとどの国でも同じだなと微笑ましかった。日没後の夕方の気温2℃。イタリアにいた時とは雲泥の差。 |
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 8月2日 さぶい ユース 
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今日は記念すべき我誕生日。 意気揚々とユースを出ると空は曇っている。なぜだ?とにかく中央駅に荷物を置いてそれから 63.ノートルダム大聖堂(2)(Cathédral Notre-Dame)へ。大と言いながら国同様に大きいものではない。11時半からだったのでリュミーヌ宮の 64.ローザンヌ美術館(2)(Palais de Rumine)へ。毎月第一日曜は無料とかで今日は無料だった。やはり誕生日効果ありか?残念ながら印象なし。再度大聖堂に行った後に地下ケーブルでレマン湖へ。この地下ケーブル、切符のチェックのチの字も無い。スイスの街中の交通機関は切符のチェックをほとんどしない。(無断乗車をしていいというわけではないけど)湖岸沿いを歩きながら 65.オリンピック博物館(4)(Musée Olympique)へ。ここの入場券はカード式で次のオリンピック開催地、シドニーのポスターが印刷されている。オリンピックの聖火トーチからメダルまできれいに並べられていた。その中でもやはり長野オリンピックの漆塗りのメダルが一番きれいで重みがあったように見えたのは自分が日本人だから?規模は大きくないけどそれなりに充実していて面白かった。ローザンヌにはIOC(国際オリンピック委員会)の本部もある。博物館でスウォッチ(もちろんスイスの時計メーカー)の割引券をもらう。すぐ近くに店があって寄ってみようと思ったけどまたの機会に(ちゃっかりしてる)。その後は水で有名な(?)エヴィアンへ。 |
 65.オリンピック博物館 |
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 ローザンヌ・ウシー駅 → エヴィアン |
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言わずと知れた水の町。アルプスの雪解け水をパックしただけでお金が稼げるとは!?
いったん国境を越え フランスのエヴィアンへ。このフェリーはユーレールパスのサービスに含まれているために無料。(だから行った)船の中で日本人のコックに会う。スイスで寿司職人として働いていてエヴィアンのカジノに遊びに行くとか。船旅は20分程で、着く頃には雨が降り始める。傘はいまだにローザンヌのロッカーの中。着いてすぐにエヴィアン博物館へ。中は小さく、ほとんど展示物はない。(もともと水は水)その後水飲み場が無かったのでぶらぶら街を歩いて帰る。本当に小さい町で、その町の名前だけが世界中で有名になっているだけ見たい。ここに浜ちゃんが来たのか!(確か”ガキの使い”の紅白の罰ゲームだったと思う)パスポートチェックも無くまたスイス入り。 |
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 エヴィアン → ローザンヌ・ウシー駅 |
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この日中 パンで生活。今日のユースの朝食で取ってきたジャムでなんとか味は付けれたけど、パンだけだとどうも物足りない。うわさ通り、スイスはやはり高い。下手にスーパーで何かを買うよりはマックでなにか食べたほうが安いだろうと思ってマックへ。一番安いセットで9.90SF(約千円)もする。こんな高いセットが世の中に存在するとは。トイレに入るにも1SF(100円)。どんなトイレや?雨が止まないのでモントルーへ。モントルー到着後に急に計画変更。何もなさそうだたのでベルンへ。列車を待つ間にヒッチハイクをする女性を発見。なかなか捕まえられず20分ぐらい経ってやっと捕まったぐらい。なんか微笑ましかった。フランスに近いジュネーブはフランス語圏。ドイツに近いチューリッヒはドイツ語圏で、その他にイタリア語と現地語のロマンシュ語の4つの言語がスイスの共通語。友達に聞いたところ国歌もやはり4カ国語で歌うとか。何より不思議なのが同じ国民なのに言語の違いから会話ができない可能性があると言うこと。何とも不思議な国。とりあえずフランス語圏をぬけドイツ語圏へ。 |
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 ローザンヌ → モントルー → ローザンヌ → ベルン |
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スイス連邦の首都。U字型に流れるアーレ川が中世の街並みを残したベルンに溶け込んでいる。熊に選ばれた古都。1191年に建設され、1218年自由都市となり、1848年にスイスの首都になった。
今日は雨にたたられ食事はパンのみ、電車が遅れたりしてがっかり。 明日があるさ!ベルンのユースに到着。このユースはまさに軍隊式。シャワー室は仕切りがなく隣は丸見え。ベットも整然と30個ぐらい2段に並んでいる。ただベットがあって、光が着いた部屋に入るとほっとするもの。旅中最悪野宿するぐらいの気持ちなので何かとユースは安心する所。とにかく寝よう。 |
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 8月3日 涼しい ユース   |
連邦議会
 町並み 66.Vo2
 アール川
66.熊公園
噴水 |
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朝起きてまたパン。 ベルンはスイス連邦の首都だけど、例外にもれず小さい。周りを山に囲まれ、街をU字型に流れるアーレ川がなんとも言えない雰囲気を作り出している。連邦議会の横を抜け、街をぶらぶら歩きながら古い町並みを楽しむ。とにかく近代的な物が表面的には見えないように街作りがされているので、中世の街並みがよく残っている。街中に多く残っているのが塔。16世紀に作られた噴水塔と牢獄塔、有名でポストカードなどによく載っている時計塔。それぞれ小さな物で装飾に凝っていてきれい。この街の売り物の一つがマーケット。すべてが中世の趣を残しているわけではないけどおそらく幾つかは古くから続いているのでは?フルーツを買っている時に隣の外国人がいきなり”おはよう”。話を聞くと東京で働いていて、休暇で帰ってきた所とか。最後にお決まりの質問”日本についてどう思う?”と聞いたところ返ってきた答えは”Tasty(美味しい)"とか。まさにそう思うけど。その後は 66.熊公園(2)(Bärengraben)へ。この熊公園はベルンらしい所。この町にまだ名前がついていなかった頃に最初に捕まえた獲物の名前を町の名前にしようと言う事になり、その最初の獲物が熊(ベーレン)だったとか。小さな公園で動物園の熊の檻がぽつんとあるような場所。何も大した物はないけど(日本の田舎の観光地みたいな所)。ここに来る時にアール川に架かっていたニューデック橋からの眺めは最高に神秘的。大寺院、ベルン美術館共に閉まっていたのが残念。(月曜日)特にベルン美術館はクレーの世界的なコレクションがあるとか。また、セザンヌ、マチス、ピカソ、カディンスキー、ホドラーなどそうそうたる画家の作品もあると聞いていたので次回はぜひ行きたい所。その後食料品を買いにスーパーへ。またパンを切るために有名なスイス・アーミーナイフを買いに商店街をぶらぶらする。店員がたまたま日本人女性で、後でガイドブックを見ると載っていた。名前をただで彫るのが売りとかで彫ってもらった。こんな小さい街がスイスの政治の中心地と言うのが信じられなかったけど。(首都です)そして次の街ルツェルンへ。 |
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 ベルン → オルテン → ルツェルン |
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アルプスの峰々に囲まれた湖畔の町、ルツェルン。ウィリアム・テルの伝説を生んだ町。(頭の上のりんごを弓で打ち抜いた話)
この街の雰囲気はスイスの中でも最高だった。 超お勧めの町で、下手にジュネーブやチューリッヒで時間を費やすよりもここに来たほうが落ち着くし心が洗われるような町。それもそのはず、スイス発祥の地と言われるぐらいで歴史があって古い。他のスイスの町と同様に深い谷に囲まれ、外界からの影響を長い間受けずに来たため近代化と言う物に取り残された結果、今でも古い町並みをとどめている。総てがうまく溶け合って中和して理想的な古いヨーロッパの町そのものと言った感じ。まず駅を出ると右手に湖があり、左手にはその湖に流れ込むロイス川がゆったりと流れている。そのロイス川にかかるこの街の一番の売り、カペル橋を見ればすぐに誰もが納得してしまうはず。すぐにホテル探しに出るけど町はスイスの他の町と同様に観光が売りなため高い。おまけに目的のホテルはつぶれていたので、とりあえず荷物を駅に預けて観光に。最高にきれいな 67.カペル橋(5)(Kapellbrücke)が最初の観光。この橋は現代の橋のように川の流れに対して垂直に架かっているわけではなく、川上から斜めにかかっていて最短距離で架けるのに対して2倍ほどの長さがある。その橋の脇にはパンジーなどの花がずらっと飾ってあって、橋の上には屋根がかかっている。一度93年に火災に遭ってしまい修復されていて、真新しいのが残念。火元はおそらく煙草の不始末とされているため、橋の上での喫煙は禁止。橋の中央には売店がありその時の火災のポストカードも売っていた。屋根の下には町の歴史が描かれた板が数十枚かけてあった。そこから街の南のほうに歩くとボブ教会が見えてくる。なかなかがっしりしたものだけど時間が無かったので寄らなかった。歩きつづけると新市街があり、 68.氷河公園(2)(Gletschergarten)へ。ここもスイスらしいところで、氷河が作った岩の窪みなどがそのまま展示されていた。それから旧市街に戻ってロイス川にかかるもう一つの橋 69.シュブロイヤー橋(4)(Spreuerbrücke)へ。この橋はカペル橋ほど古くはないけど木造の年代物。橋の途中には小さな礼拝堂もある。そしてかつて街を囲っていた 70.ムーゼック城壁(3)(Museggmauer)に登るために町の南に向かって歩き始める。塔が9つあるけどその中の3つほど入って見た。坂道が結構急で疲れたけど、この城壁の上から見る町の雰囲気もなかなかのもの。城壁の向うには運動場があり、小さな子供がサッカーをしていたのを見てほっと一息。最後に 71.ピカソ美術館(5)(Picasso Sammlung)に行ってバーゼルへ。 |
 67.カペル橋
川辺の風景 Vol2
Vol3
 ボブ協会
こんな壁?
ルツエルン駅前 |
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 ルツェルン → バーゼル |
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ルツェルンで宿が見つからなかったのでバーゼルのユースへ。駅から少し遠く、歩くこと25分。ガイドブックには15分と書いてあったけど( いつもガイドブックの時間は適当)汗だらだらになって到着。ついてフロントで部屋が無いと言われた時はがっくり。ただどこかに行く当てもないし、ユースのおじさんが館内だったら寝てもいいよと言ってくれたのでとりあえずキャンセル待ちでしばらく待つ。そのうちスウェーデン人のデニスに会う。デニスも予約をしていなかったので部屋が無くお互いキャンセル待ち。何とかキャンセルが出てデニスといしょに部屋へ。何とか今日もベットで寝られる。 |

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デニス :スウェーデン人。えらくアジアに興味があり特に日本のことについては興味があるみたい。気功や日本人の考え方など自分より知っていることが多かったりして驚き。英語もぺらぺらで彼いわく”英語は簡単”とか。 |
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 8月4日 涼しい サーシャ宅 後  |
 74.大聖堂
74.Vol2

73.三国国境 オブジェ
塔?
自然を走るトラム |
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ヨーロッパの十字路バーゼルはドイツ、フランス、スイスの3カ国の国境の町で鉄道の一大ターミナルとなっている。
朝起きて 軍隊のような朝食(機械的)を取った後、駅に荷物を預けに。まず公園で朝食を再度取って(ユースのはそんなに美味しくなかった)、 72.市立美術館(4)(Kunstmuseum)へ。ライン河畔に 73.三国国境のモニュメント(2)(Dreiländerecke)があったので昼食を取りに。トラム(ちんちん電車)の終点から川沿いを歩くこと20分。やっぱりパンにはソーセージではなくハムがいい。(最近の食事はサンドイッチばっかり。いろいろなものを挟んでみてもハムが一番美味しい)モニュメント自体はただのオブジェだけどそこにゆったり流れるライン川を見て寝転んでいると何とも言いがたい豊かな時間が過ごせた。市内に帰った後は 74.大聖堂(2)(Münster)へ。中にはあまり期待してなかったけど塔に登れるとかで行ってみた。バーゼルの町を見下ろしたかったけど2人以上のグループでないと上がれないとかで(何じゃそりゃ?)登れなかった。なにかあったのかもしれない。屋根がカラフルできれいだった。ゆっくりバーゼルの観光を終えた後はチューリッヒへサーシャに会いに。 |

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サーシャ :語学学校で出会ったスイス人。典型的なスイス人ではにかみ屋。お酒が大好きでロンドンではよくパブに行っていたみたい。ジムで働いているため体は筋肉ムキムキ。 |
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 バーゼル → チューリッヒ |
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駅で待つこと30分程でサーシャが迎えに来てくれた。サーシャは1週間ほどの旅行から帰ってきた所で次の日から働かないと行けない忙しい中わざわざ泊めてくれたので感謝、感謝。すぐにサーシャが行っていた チューリッヒ大学に行ってさっそくチューリッヒを一望。それほど大きな街でないにしてもスイス一大きい商業都市。その後チューリッヒ湖の近くのバーに行ってオレンジジュース一杯を飲んでサーシャ宅へ。オレンジジュース一杯がなんと7SF(約700円)。なんとも信じられない物価の高さ。今夜は久しぶりにゆっくりできる。 |