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 8月5日 快適 サーシャ宅   |
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スイス最大の都市、チューリッヒ。スイス最大の商工都市であると同時にドイツ語圏の代表。
9時過ぎに起床。今日は久しぶりにコインロッカーに行く必要がない。朝少しゲームをして(何をしてるんだ?)サーシャ作の フォンデュを食べる。サーシャは仕事へ。自分はさっそくチューリッヒの観光開始。最初は 75.聖母寺院(3)(Fraumünster)へ。この教会のステンドグラスはシャガール作。教会の独特の雰囲気に負けない彼の作品はしっくり溶け込んでいる感じ。その後は再び教会で 76.大聖堂(2)(Grossmünster)。ここはカール大帝が建てた教会堂跡に立てられたとかで彼の石像が地下とリマト川に面した壁側にあった。(どんな人かはよく知らないけど)何か小さな街らしい路地を抜けて(スイスで一番大きい街です)、 77.チューリッヒ美術館(5)(Kunsthaus Zürich)へ。その後はチューリッヒのメイン通り、バンホフ通りへ。ここは物価の高いスイスの中でも一番大きい街の通り。文字通り高級品であふれていて、ロレックス、オメガなどの高級時計から一通りのブティックまで。百万を越える物もごろごろ展示されていて、さすがにアメリカの代表、マックもこの表通りには店舗がなかったのには納得。この時期チューリッヒの街のいたる所にあったのが牛のオブジェ。数種類の形(ポーズ?)をした牛にそれぞれ店の出資でペイントしてある。プレートには製作年(1998)とデザイン者の名前、出資者(オブジェのすぐ近くの店)が書いてあり、下着の店の前の牛は下着が描かれていたり花屋の牛は花だらけ、という感じ。町中いたる所にあふれていて、100や200ではなかったと思う。町中がちょっとした近代美術館のようだった。ただし、3ヶ月後には撤去されるらしく、もう撤去されたはず。おそらくまた新しい物に変わるのでは?今日はゆっくり町中を見て周った感じ。見た物も3つだけでその間にサンドイッチをリトマ川の近くで食べ、チューリッヒ湖でボーとしながらスモモを食べた、というのが今日。湖には(どこでも)白鳥とかもがいて、波はないため優雅に透き通った湖を悠々と泳いでいる。魚もちらほらいたけど思ったほど大きくない。水がきれいすぎるのか(日中の気温22℃)。油やごゴミが浮いていないのがスイスの湖と川。どこでもそこが見えるほど透き通っていて、まさに理想的な環境。人間があれだけいるのに汚す人がいないのはとにかく信じられない。 |
76.大聖堂
チューリッヒ駅
 牛のオブジェ
牛 Vol2 牛 Vol3
牛 Vol4 |
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 8月6日 快適 ユース   |
 ピラトゥス山行きの車内 |
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今日は スイスの山に登ろうとルツェルンへ。 78.ピラトゥス山(4)(Pilatus)へ。 |
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 チューリッヒ → ルツェルン → アルプナッハシュタット |
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スイス旅行の楽しみの一つは車窓から見る自然。 絵葉書で見るようなかわいい家々となだらかに広がる森、澄みきった湖など最高にきれいで数時間ボーと見ていて飽きない。それに所々アルプスの荒々しい無機的な山々がそびえ立つ。ルツェルンからアルプナッハシュタットまではまさにローカル線で、こういった景色が楽しめる。心洗われた後には2時間近く登山鉄道乗り場で待つはめに。(いい事はそうそう続かない)最悪の乗り継ぎで、チューリッヒ駅で数分遅れただけで次の列車のために1時間待たされて、その1時間のためによけいに登山鉄道乗り場で待たされることになった。ただ自分の旅はいつもこういった感じなので気にしない気にしない。(一休さん?)ガイドブックにはユーレイルパス可と書いてあったけどくそ食らえ!この”可”は割引可の意味で、料金を払うことになる。 |
 ギザギザ登山道 |
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 アルプナッハシュタット → ピラトゥス カルム  |
山の天気は変りやすい? |
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頂上までは 最大傾斜度48度という登山鉄道で登る。トンネルをくぐり、森を抜け、自然の中を普通の電車が走り抜けて行く感じ。中心のレール(3本ある内の中心)は水平方向に凹凸があり、これをカギにしての歯車を回して登っていく。これこそスイスといった感じでさっきまでの2時間を忘れさせてくれるほど美しい。天気もよかった。頂上からの景色は山と雪のみ。ほとんどの山は背丈の低い草木しかなく動物もいない。はるか下の方に見える町並みはおもちゃ箱と言うよりも、飛行機から撮った写真のように米粒ほどにしか見えない。しばらく景色を楽しんだ後はゴンドラとケーブルカーでルツェルンへ。そこからバスに乗って中心街に帰った後はしばし街中をぶらぶらする。この旅最初の忘れ物はCD。サーシャの家に忘れてきたので街中のデパートで新しいのを買う。忘れてきたのはThe PoliceのSYNCHRONICITY。新しいCDは2枚組みのThe Police、SYNCHRONICITYのライブ版。これがまた最高にスパークしていて旅の最後まで自分のディスクマンでくるくる回っていた。結局スイスでデパートに入ったのはここだけだったと思うけど(高いというイメージがあって入れないし、入っても何も買わない)、日本の物と同様きれいで新しく、サービスもそこそこ。その後またカペル橋を渡ってぶらぶらした後、ルツェルンのユースへ向かう。ここはかなり高かったけど設備はなかなか。カギもカード式で中もきれいだった。この日は晴れたルツェルンだったけど前回のように曇って少し霧にむせているぐらいのほうがこの街には合っているかも。晴れていると川底の小さなゴミが目に入ってしまう。宿でサンドイッチ。今日はヨーグルト付き。時間的に今日はピラトゥス山にしか行けなかったのが残念だったけど明日からに期待。 |
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 8月7日 快適 駅   |
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朝起きてまずインターラーケンへ。 インターラーケンはアルプス山脈のもっとも有名な登山町の一つ。 |
登山途中にみえる滝
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 ルツェルン → インターラーケン オスト(東駅) |
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列車の左右に湖が見えてくる。どちらも波もなく穏やかでゆっくり時間をつぶすための所。 周りには小さな家がぽつんとあるぐらいで、その庭は池にそのまま面していて真緑の芝の上に椅子が幾つか置いてあった。あんな所で毎日過せたらたとえ退屈な町でも最高の老後が遅れそう。(まだ老いぼれる年じゃないけど)着いたら別に登山鉄道用の駅へ。同じプラットホームにあるとは思ってなかったのでしばらく気付くまで駅の周りを歩く。そこから2回乗り換えると頂上。いろいろな観光があると思うけど、登山電車でアルプスを楽しむことほど上品なものはない?頂上のユングフウヨッホはヨーロッパ一高い駅。(当然?) |
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 インターラーケン・オスト → ユングフラウ・ヨッホ  |
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この 79.ユングフラウ・ヨッホ(5)(Jungfraujoch)はユングフラウ(山の名前)が一番近くで見れる駅でユングフラウ・ヨッホの標高3454m(富士山より少し高いぐらい)、ユングフラウの標高は4158m。頂上に上がるにつれ氷河が見えてくる。この氷河の規模は圧倒的で真っ白な地面が永遠と続いている。時期は8月の初旬。まったく溶けている気配はなく、雪というより氷。山の様子も場所によってまったく違う。下のほうは針葉樹が広がっていて、家々が山にへばりつくように立っている。それが頂上付近になると苔すら生えない無機物の世界に変わっていく。岩も氷河によって削られひびが入っている。”実物に勝るものなし”で、行った人にしか絶対に味わえない世界と雰囲気。荒々しい自然が永遠と続いているのに対し、少し緩やかな傾斜では牛が草をはんでいる。ぽつんぽつんと咲く高山植物の一つエーデルワイス。それがゆっくり登っていく登山電車の窓越しに広がっていく。景色を見るとか楽しむというだけでなく、体の五感で味わい、消化しながら登っていくと言った感じ。ガイドブックで見た、テレビで見た景色を実際に見る事はよくあると思うけど(NYの自由の女神を見るとか、有名人を見るとか)、何も特別な物がないぶん写真では味わえない世界が感じられると思う。人間が作った巨大な建造物(アメリカン人が特に好きなもの)では感じられないような人間の小ささというか、自然の雄大さというか、そんな物が感じられる。十分に巨大な自然を味わった後は下山して実世界に戻り旅を続ける。 |
 登山電車
 79.ユングフラウ・ヨッホ
79.Vol2 79.Vol3
79.Vol4 79.Vol5
79.Vol6 79.Vol7 |
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 ユングフラウ・ヨッホ → インターラーケン・オスト → スパァイツ → ブリッグ |
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このブリッグ駅が 今日の宿。ここで8時間ほど寝る。寝ている間、身の危険は感じなかったけど(私は忍者ではありません)少し肌寒い。バックパックは体の近くに置いて、リュックは枕代わり。日中晴れていればこの時期駅で寝ることは可能。(もちろん荷物や身体の管理はご自分で)ただ、曇ったり雨が降ったりするとセーターなどは確実に必要。当然夕方近くから冷え込んでくるので風邪を引く可能性が大きいとは思うけど(寝袋さえあれば)。また大きい駅では警備が厳しく寝ることはできそうもなかった。小さな駅、特に国境の駅などは一日中列車が通るので閉まることもない。朝方は夏といえどもけっこう冷えるので。旅行中(いつでも?)体が資本ですので。お勧めはしません。 |
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 8月8日 快適 夜行   |
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朝からツェルマットへ。昨日ブリッグに来たのもここがツェルマットへ行く 最も近い駅だったため。(もう一個あつけど)登山電車は一本遅らせると長時間待たされるはめになるので。このツェルマットはアルプス最高峰のモンブラン(4810m)に次ぐ高さを持つ山の一つ、マッターホルン(4478m)とモンテローザ(4634m)が見える町。アルプスの少女ハイジの舞台になったのも(モデル?)ここ。ただし、ブリッグからツェルマットまでは列車が通っているもののユーレイルパスがまったく使用できない。 |
 登山電車 |
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 ブリッグ → ツェルマット  |
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このツェルマットは自動車が走っていない。 街中の移動は自分の足になる。ぱらぱら街中を走っているのは電気自動車で、要はゴルフカート。ここからそれぞれの方向へ行く登山電車、ケーブルカー等に乗るには駅が違うために少し歩くことになる。最初にやはりツェルマットのメイン、マッターホルンを見るために 80.クライン・マッターホルン(4)(Klein Matterhorn)へ。最初は4人乗りのケーブルカーで。これが結構迫力があって、下までの距離があるのと、塔と塔の間隔が極端に広いので少し揺れる。そこから2度ゴンドラを乗り換えると頂上。このクライネ・マッターホルンはロープウェーで行く展望台でアルプス最高地点で標高3820m。クライネとは”小さい”という意味で、山頂部分がマッターホルンに似ているから名付けられたとか。ここは雪がふんだんに残っていて、夏スキーを楽しむ人がかなりいた。(こんな時期になんでわざわざと思うけど)要は氷の上を滑っているようなもの。ただここからのマッターホルンはそれほど迫力があるわけではなかった。ここの展望台を上がると屋外から360度アルプスの山々を楽しむことができる。ここからの視界はまさに銀世界。ここに数分いるだけで目がちかちかしてくるぐらいで、雪に反射する日光がきつく、サングラスを持っていかないと大変。ここで最高に至福の時間(?)を過そうと、ツェルマットでフランスパンとハム等の食材を買ってきてサンドイッチを食べた。スキーや登山を楽しむ人を下に、薄く、おそらく世界で一番きれいな空気を吸いながら食べるサンドイッチほど美味しかったものはない!(少し惨めだったのも否めない)デザートはいつものごとくメロンで、スイスナイフで切った後スプンでパクリ。その後の煙草は最高に美味なり。貧乏旅行人にとってこれ以上の贅沢はない!かも?その後は氷の宮殿(人工的に作られた氷の洞窟)に行って、最後に屋外へ。雪もさすがに解けている所があって、誰かに確か写真を撮ってもらったはず。(なんせ一人者なんで)マッターホルンを満喫した後は下山して、次の山 81.グルナーグラート(5)(Gornergrat)へ。この登山電車はアルプスの中で一番だったかも。高山植物があたり一面生えていて、そこに登山者が作った茶色の道がくねくねついているだけ。と、突然どーんとマッターホルンが視界に入ってくる。この登山電車は絶対に右側の席に座るべき。(乗れば分かる)近くで見た(クライネ・マッターホルンで)見た物よりも巨大で、大きな石の固まりがそそり立っている。ここからしばし下山を自分の足で楽しむ。今までさんざん見た登山者だけど実際にやってみると肺のニコチンがすべて洗われるよう。(そうであるといいけど)くねくね曲がった道をゆっくり下りていくと一歩一歩見る景色が変わるのが実感できる。しばらく歩くと 82.リッフェル湖(4)(Riffelsee)が見えてくる。ここはアルプスから見ると小さい水溜まりのような所で、小さな魚も泳いでいた。周りには腰を下ろしてマッターホルンを楽しむ人がいた。自分は湖面に映るマッターホルンを写真に取ると再び歩き出す。しばらく歩くと斜面が少し急になってくる。下に大きな建物が見えてくると下山も終わり。右手には電車が近づいていたので少し小走りで駅に向かうとそこからは登山電車でツェルマットへ。たった一駅だったけどいい運動になった。最後の山は 83.スネガ(3)(Sunnegga)。ここの地下ケーブルは凍えるほど寒い。乗り場まで入口から100m程あるけど大きな冷蔵庫に入ったようなもの。数分でスネガまで行った後はウンターロットホルンまでケーブルカー。ただここでこの旅の中で一番重大な問題発生。カメラがないのに気付く。 |
 80.クライン・マッターホルン
80.Vol2 80.Vol3
80.Vol4
 白濁した雪解け水
Vol2 |

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ケーブルカーから写真を撮ろうとしてもどこにもない。この時だけは顔面蒼白だった。 これまで撮ったアルプスの写真がまだ中にあったし、これから1ヶ月以上旅行が続く。仕方なく今まで行った登山列車の駅に行き、その後にインフォメーション、最後に警察へ。ところが警察所は次の月曜まで(この日は土曜日)開いてないとかで、2日も待つわけには行かない。(なんてのんびりしているんだ)旅行保険があったけど、盗難または紛失届は警察でしか作ってくれない。自分のカメラは結構いいものだったけど、旅行を2日も無駄にするほど高くはない。自分の乗りたい列車の時間まで2時間しかない。新しい物を買おうとあきらめかけたけどどうもあきらめられないので、一番あやしいスネガ行きの駅へ再度行く。駅へ行く途中に写真を撮ったのを思い出してここが一番怪しいと再確認。係員にもう一度電話で確認してもらうとカメラを拾ったらしき人がいるとか。列車の時間が迫っている事を伝えると何とか持って来てくれることに。ほとんどあきらめていたので丁寧に聞いたのがよかったのかも?1時間ほどして持って来てくれた時は信じられないのとうれしいのと。旅の途中で、特に2ヶ月もの長い旅の中でカメラを落とすことほど悔しいことはなかったけど結果はしろ。これが他のヨーロッパであればほぼ100%返ってこないのは当然(特にイギリスは)。当然、自分がラッキーなのも確かだけどいかにもスイスらしい。この旅の最大の失敗が笑い話になったのでよかったけど。 |
 80.逆さホルン?
80.Vol2 80.Vol3 |
ケーブルカーを途中で引き換えせざるをえなかったけど(買った切符ではスネガからもう一つケーブルカーに乗れるはずだった)とりあえずカメラも戻って来たことだし、 長いスイスの旅も終わり。天気がよかったことは最高にうれしかった。アルプスの山に行って雲を見て帰って来たと言うのは笑い話にしかならないし。ここからイタリア旅行の再開でフィレンツエへ。 |
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 ツェルマット → ブリッグ → ミラノ → フィレンツエ |
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 スイス人とは?  |
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世界の自然公園 、スイス。神聖ローマ帝国属領時代、オーストリアのハプスブルク家の圧政に反抗してスイスの中央にある3州の地方の住民が結束して独立自由獲得ののろしを上げたのが1291年の8月。ウィリアム・テルはこの独立運動が生んだ幻の英雄を主人公にしている。その後幾多の戦いの歴史を経て現在の永世中立国になる。スイス人の感想はこの旅行中一番いい。もちろんカメラの件もあるけどそれがなくてもおそらく一番だったと思う。まず第一に英語の習得度。ほとんどの人が英語を話す。それが学生だけでなくお年寄りまでよく喋れるのが驚き。もちろんこの国のお国柄なのかもしれないけどそれにしても旅の中で普通に会話ができたのはここぐらい。(この国にはスイス語という物がない。ドイツに近いところはドイツ語、フランスに近いところはフランス語といった感じ)観光国なのもおそらく理由の一つだと思う。国自体小さく、たいていの都市は観光地になっているので英語と接する機会が多いのかも。ただそれ以上におそらくこの国の国民性と教育状態がいいのだと思う。おそらく世界でもっとも物価の高い国の一つで(日本もここには少し負ける)街中も日本のようにきれい。(他の国は汚いところが多い)お金がすべてとは言わないまでもみんな十分に教育を受けているといった感じ。どこで誰に話し掛けても英語を話すことを全く苦に思っていないし、自分の持っている英語力で何とか理解しようと一生懸命聞いてくれる。(日本人みたい。これがフランス人だと英語を喋っただけでいやな顔をされるし、イギリス人だと話し手に完璧な英語を求める。もたついているといかにも”英語もしゃべれないのか?”といった顔をするイギリス人が多い。)カメラの件でも他の国では絶対に帰ってくるとは思えないけど、スイスだとなんとなく納得できてしまう。なにかサービス業が発達した日本人と似ている所が少しあって、お客様に対しての対応も旅行中一。それに加えてヨーロッパ人特有の品のよさもあって、予期したことをやってくれて予期しないことはしないという自然な国民。(常識がよくできている)それにプラスいつもロンドンにいたので、ゴミを捨てない国民には感心。イギリス人は所構わずゴミを捨てる。最高点の模範的人ばかりでこれには日本人も見習うところが多い? |
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 8月9日 少し暑い 夜行   |
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花の都フィレンツエ。町自体が美術館と呼ばれるほど。メディチ家の保護の下に花咲いたルネサンスはあまりにも有名。
フィレンツエまでの乗り換えはほぼ完璧。着いたのが5時半だったので少し駅の待合室で寝て出発。この待合室は列車の切符を持っていない人は追い出されるという厳しいシステム。(ユーレールパスはここでも可)最初にどーんと驚かされたのが 84.ドゥオモ(5)(Duomo)。周りが高い建物に囲まれているので、今にもはみ出しそうな巨大さ。上にも横にも広く、他の建物に比べて色鮮やか。楕円形のドゥオモ広場内に洗礼堂と鐘楼もある。これらの建物はまさに中世の設計で、現代にはまったくない曲線と直線がある。百聞は一見に如かずで言葉では説明不可能。写真を撮ろうにもその巨大さでレンズには収まらなかった。ここに入る時はじりじり照り付ける太陽の下、少し長い列で待ったされた。外見で感動しすぎたのか中はそれほどでもなかった。ただしドームに描かれたキリスト像と絵巻きはさすがに力が入っていた。後出口に変わった時計がある。日時計の一種だと思うけど。中央に豪華な祭壇があるわけでもなく予想していたような感じ。 85.サン・ジョヴァンニ洗礼堂(3)(Battistero San Giovanni)は天井一面キリストの生涯が描かれていて、いかにもヨーロッパらしい雰囲気が漂う。 86.ジェットの鐘楼(4)(Campanile di Giotto)は上がれど上がれど展望台になかなか着かない。旅の途中鐘楼や塔にいくつも登ったけど、ここもきつかった物の一つ。この上からのフィレンツエの景色はなかなかのもの。すべての建物の屋根はオレンジ色でそれが延々と広がっている。所々に大きな建物や教会等が散らばっていて、歩き疲れた所にさわやかに風が吹きぬけるといった感じ。これから行くであろう場所をあらかじめ上から見ることができるし、ここから見るドゥオモも面白い。 87.ヴェッキオ宮殿(3)(Palazzo Vecchio)はかつてのメディチ家の居城で、中は豪華そのもの。一歩足を踏み入れるとすぐに分かる大広間には巨大な絵(巨大さは半端でなく、戦争について描かれている)が数枚掛かっている。ここでどんな生活をしていたのか想像できないぐらい。鐘楼にも登れるはずだったけどなぜか登れなかった。このメディチ家はフィレンツエのみならずイタリア、ヨーロッパの歴史の中に幾度か出てくる家系で、その第一の理由は芸術家を育てた功績による。中世のイタリアの画家はたいていこの家と関係があり、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロなどそうそうたる面々が顔を出す。そして、この家の保護によってイタリアから起こった芸術の改革がよく聞くルネサンス。その後はイタリアの美術館の中でも一二を争うほど有名なウフィツイ美術館へ行くけどそのすごい量の人の列にあきらめる。(数日後来ますんで)スケジュールを変更してYHへ早めにチェックインすることに。着いたのは正午少し過ぎ。行ってからまた行列があったので計画を再度変更して今日中にローマに行く(すべての道はローマに通ず)ことに。ここに泊まっても時間の無駄。多くの町は月曜日に閉まっている建物が多いので。(この日は日曜日)気を取り直して、サンタ・クローチェ教会へ。ただ開館時間の関係で入れなかったので 88.アカデミア美術館(4)(Galleria dell' Accademia)へ。ここに入るには少し列に混じって待つはめに。もう一つ 89.サン・マルコ美術館(4)(Museo di San Marco)。その後に昼食をパスタで取ったけど、これが予想外にまずかった。食のイタリアでもレストランは選びましょう。再度気を取り直して 90.サンタ・クローチェ教会(4)(Santa Croce)へ。ドゥオモもきれいだったけど、ここも教会らしい美しさがあった。ここも短いながら人の列があって、少し待つことに。大抵の教会は入るのに短パン、タンクトップ系は不可のサインがあるのでそれなりの格好をしていかないとは入れない場合があるので注意。短パン等は大目に見ている所が多いけど、肩は隠すように言っている所が多い(女性の場合)。とにかく人が多く、教会というイメージはほとんどなく一種の観光地化していた。ここの売りは276あるお墓でその中にはミケランジェロ、マキャベリ、ロッシーニ、ガリレオ・ガリレイなどが含まれる。ミケランジェロの棺の下にはイタリア語で哲学者、芸術家、心理学者等刻まれていて、彼の多才ぶりがうかがわれた。(英語とよく似た綴り)ガリレイのものは望遠鏡を持ったガリレイが刻まれていた。あの地動説を唱えた、社会の時間に習った人物が実際に眠っていることは信じられなかったけど、改めて人間は所詮人間なのだなと感じると同時にイタリアの歴史の深さに感心。ダ・ヴィンチの名前が刻まれたプレートがあったけど隣から聞こえたガイドによると彼はフランスに葬られているとか。ここはなぜか協会内に革の学校があって革製品を扱った店もあった。そこで少しぶらぶらした後は 91.ミケランジェロ広場(2)(Piazzale Michelangiolo)までうだるように暑い中30分程歩く。ここにはさっきアカデミア美術館で見たダヴィデ像のブロンズの複製が立っている。(おそらくこれがこの広場の名前の由来)ここの土産屋の中の一つで日本語を話すイタリア人に合う。バッチをかってまけてもらう代わりにキーホルダーをもらう。ここからの景色は思ったよりたいした物でなかったのが残念だけど町中が見渡せるので来る価値はあるかも。近くの 92.サン・ミニアート・アル・モンテ教会(2)(San Miniato al Monte)へ。この教会、ブライアン・デ・パルマ監督の”愛のメモリー”に登場した場所。教会らしい所で中はとても静かで涼しかった。ただそれぐらい。パイプオルガンで作曲していた人がいたぐらい。少し涼しんだ後は駅へ戻ってローマへ。今日見れなかった美術館はまた後日見る事になるのでとりあえず出発。明日はローマ。今回の旅行中で一番行きたかった都市の一つなので楽しみ。”ローマは一日して成らず”で、ここには数日滞在する予定。何といっても歴史のあるイタリアの中でも世界中に知られた遺跡が山とある所。 |
85.サン・ジョヴァンニ洗礼堂
86.ジェットの鐘楼
84.ドゥオモ
 84.鐘楼からの景色
84.Vol2 84.Vol3
84.Vol4 84.Vol5
87.ヴェッキオ宮殿
 ヴェッキオ橋
90.サンタ・クローチェ教会
 88.アカデミア美術館の「ダヴィデ像」
91.ミケランジェロ広場
92.サン・ミニアート・アル・モンテ教会 |
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 フィレンツエ → ローマ・テルミニ駅 |
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ローマ・テルミニ駅に着いた後はユース探し。 駅の東側にはホテルや宿初施設が山ほどある。その中からまずガイドブックに載っていた所に行ってみたけどすでにいっぱい。紹介してくれたドミトリー(寮)というかユースというか、に行ってみるといかにも小汚い所でシャワー室も小さい。いろんな所から来た旅行者としばし談話した後睡眠。明日に備える。今日は特別に長かった。 |
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 8月10日 暑い ユース   |
 94.スペイン広場
95.トレヴィの泉
96.パンテオン
96.Vol2
 97.エマヌエーレ2世記念堂
 98.フォロ・ロマーノ
98.Vol2 98.Vol3
 100.コロッセオ
100.Vol2
 101.真実の口
ティベリーナ島
 102.サンダンジェロ城
102.Vol2 |
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「ローマは一日にして成らず」、「すべての道はローマに通ず」、数々の格言と共に残された偉大な歴史的遺産。コロッセオ、カラカラ浴場、フォロ・ロマーノなどは世界的に有名だけど、それらはローマの遺跡のごく一部。それに加え中世、ルネサンスの文化と美術、そしてカトリックの総本山、ヴァチカン市国がある。多くの映画の舞台にもなった町で「ローマの休日」はその一つ。1870年にイタリアの首都になる。
7時前に起床。近くに大通りがあるので朝はうるさくて目覚まし代りになった。荷物はユースにそのまま残してまず 共和国広場を抜けてバルペリーニ広場を横切り、目指すは 93.残骨寺(サンタ・マリア・デラ・コンチェツィオーネ教会)(2)(Santa Maria della Concezione)。ここは目立たない教会で着いたのは8時頃。中を覗くとみんなお祈り中。なにか違うと思って少し近くを歩き周ってみてもらしい物は見当たらない。結局そこが正しかったけど、ガイドブックには開館時間が7時からとなっている。ただ、骸骨が置いてある部屋はCOEMETERIUMで、開館時間9時から。名前の通り骸骨が置いてあるけど、残骨になった修道僧四千人分がきれいに飾ってある。遠目から見るとものの見事に組み立てられたさまがきれいだけど、近づいて見るとやはり不気味で気持ち悪い。なんであんなものを、それも修道僧の骨で?スタートからすごい物を見たので次ぎは普通の観光地へ。ローマは誰でも知っている”ローマの休日”の舞台になった町。次に訪れたのがアン王女が髪を切った後に来た 94.スペイン広場(4)(Piazza di Spagna)。137段ある階段の先にはトリニタ・デイ・モンティ教会があって、その雰囲気は最高。今にもオードリー・ヘップバーンが出て来そうなぐらい映画のままで、少し感激した場所。次ぎはコインを投げるために 95.トレヴィの泉(3)(Fontana di Trevi)へ。ここは人だらけでロマンチックとは程遠い。それも投げられたコインを清掃する係員がいてあまりいい所でもなかった。一応コインを投げてみたけど一回失敗。ここに投げ入れられたコインは市の財政に役立っているとかでもっとコインを...と市が新しく考えた4つの願いが面白いというか汚いというか。1つ入れると”ローマを再び訪れられる”、2つで”好きな人と結ばれる”、3つで”嫌いな人と別れられる”、4つ入れると”新しい恋人ができる”。どうせなら財布ごと投げてしまおう。ピエトラ広場、ロトンダ広場を抜けると 96.パンテオン(3)(Pantheon)へ。この建物はとてもシンプルだけど2世紀に建てられ、再建された物が今でも残っている。2世紀といえば日本人はまだ人間というよりも猿に近かったのか?(弥生時代)中の壁に描かれた受胎告知が他の物と比べて変わっていて面白い。フィレンツエの物と比べて柵がなかったりして、キリスト教を知らなくても興味がわくかも。ミネルヴァ広場を抜けてしばらく歩くと 97.エマヌエーレ2世記念堂(4)(Monumento Vittorio Emanuele U)へ。威厳を持って堂々と立っているこの記念堂はイタリア統一を記念して1911年に完成。ローマの人にはウエディングケーキとかタイプライターとか呼ばれて馬鹿にされているらしいけどかなりに立派なもの。脇の階段を上って教会を一つ訪ねた後はカンピドリオ広場から 98.フォロ・ロマーノ(3)(Foro Romano)を眺める。ここは古代ローマの遺跡群で政治、経済の中心地だった所。ローマは紀元前753年に小さな都市国家として建国された後、紀元前1世紀までには地中海世界を征服し大帝国を築いた。その共和政治、裁判、商業取引と市民の生活の場だった所で神殿や凱旋門が今でも残っている。当然完全な姿はとどめていなく、外見からどんな建物だったかを想像するのは不可能。ぶらぶら歩いても正直言って、かけた石ころの固まりばかりにしか見えなかったけどそれでも改めてイタリアの歴史には驚かされる。その後は 99.パラティーノの丘(2)(Palatino)に登る。ここはフォロ・ロマーノとほとんど一緒だけど料金を取られる。EUの学生に対しては割り引きがあるとかだったけど当然自分には関係ない。これは一種の差別だと思うけど。ヨーロッパ人の学生とそれ以外の学生になにか違いがあるのか!こういった所がイタリアには結構あったのは残念。そしてローマと言えばやはり誰でも知っている 100.コロッセオ(5)(Colosseo)。はるばるローマにやって来た事が実感できる遺跡でその古さにも驚き。紀元前80年に完成した円形闘技場でその設備もすごい。外から見ると4階建てなコロッセオも中に入ると6階建て(収容人数約5万人)で、その最上階には円形に日よけが闘技場の形に添って張られていたとか。戦いの終わった後は猛獣(人間の時もあったろうけど)の血を洗い流すためのホースのような物もあったとか。日本人だらけなのでついて行ってガイドを聞くとよりよく分かります。1世紀にイタリアでコロッセオが立てられた時に日本人は何をやっていた?(弥生時代)まだまた観光は続いて次ぎはヘップバーンが手を入れた 101.真実の口(3)(Bocca della Verità)へ。(サンタ・マリア・イン・コスメディン教会)ここは質素な所で教会の一角に檻りがあって、そこにぽっかり見たことのある円形の顔があるだけ。教会に行く人はいるのだろうか?ボッカ・デッラ・ベリタ広場を抜けて近くのティベリーナ島を見る。この島は川を二つに分けていて、小さな島の上には建物が建っている。ここは周りの景色と川に溶け込んでいてとてもきれいなので見てほしい場所の一つ。これが古代には船を形をした島だったことはお土産屋で本を見ないと分からない。それから再度コロッセオの脇を通って(かなり大回りをしている)ヴィットリオ・エマヌエーレU世通りを抜けて行くと 102.サンダンジェロ城(2)(Castel Sant'Angelo)へたどり着く。このお城の形は正確に正四角形なのではなくてその四隅に砦がある。おもちゃで作ったようにきれいな形をしていて写真写りはいいはず。ここもローマの休日のシーンの一つ。閉館時間が早いので入れなかったけどそれなりに見ごたえがあった。このお城の前に架かっているサンタンジェロ橋もそうだけど自分の感想だとローマの橋はパリのものに比べて美しさが感じられない。橋自体が川面から離れているし川幅が狭いのでどっしりした感じもなくパリの橋のように優美でもない。ここから最高裁判所はすぐ近く。この建物は外見は普通だけどその大きさと銅像の数に圧倒される。まさに最高裁判所といった感じ。ナヴァーナ広場に行って噴水に足をつけて一休み。ここは周りを建物できれいに囲まれていて長い楕円形の形をしている。噴水に足を付けて休憩している人が多かった。今日もうだるように暑い日。鳩の羽が浮いていたりして少し汚かったけどこれまで死ぬほど歩いたから(地図を片手に自分のたどった道を見れば分かると思うけど)めちゃくちゃ気持ちよかった。ここからトレヴィの泉の前をもう一度横切ってクィリナーレ宮殿へ。ここは大統領官邸なので中に入れそうもなかったので次ぎは 103.サン・ピエトロ・イン・ヴァンコリ教会(3)(S.Pietro in Vincoli)へ。小さな教会で、ミケランジェロの三大彫刻の一つ”モーゼ像”があった。モーゼ像は髭が特徴的で本物に見えるほどうまい(?)。ここは聖ペテロの鎖がある所でペテロがキリスト教の布教中に牢にこの鎖でつながれたとか。遠くの方にガラスケースに収められた鎖があっただけ。うそっぽい!これなら俺でも作れる!?ここにも受胎告知があったはず。その後は 104.サン・クレメンテ教会(2)(San Clemente)に行って今日の日程終了。ここは内部が3層構造になっていて一番上が15世紀の教会、その下が11世紀、一番下が古代のローマ人の住居といった感じ。儀式があるとかで2階に上がれなかったけど開放的で窓や扉が多かった印象がある。地下はやはりいつもの通り苔臭く、湿気があったぐらいで古代であろうが中世であろうが洞窟には違いない。少し複雑だったけど15分ほどで出てくる。地下鉄でユースに帰ってゆっくりするまもなくスーパーへ買い出し。テルミニ駅には地下にスーパーがあって一通りの物がそろっていたけど品物の流れが遅いので腐っている物や品切れの物が多かった。ただイタリアは意外に物価が高く(観光国です)それにつけスーパーが街中に見当たらない不思議な国。(あれだけこの日歩いたのに一つも見当たらなかった)街中を歩いていると缶ジュース一つにとんでもない値段を言ってくるやつがいる。最低250円ぐらい払わないと買えないけど中には5〜600円といってくる奴もいたぐらい。穴蹴ったろか!!このスーパーなら日本と同じ位か少し高い位だし使いやすいので活用しよう。ユースに帰ってしばし休憩。キッチンにはビデオが置いてあって半分以上が英語の字幕付き。おそらく勉強するためのものだろうけど真剣にみんな見入っているのにはちょっとびっくり。ここはアメリカ人やオーストラリア人、カナダ人が多かった。今日ほど旅行中歩いた日もなかっただろう。疲れが残らないようにしっかり寝よう。 |
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 104.サン・クレメンテ教会 |
 104.Vol2 |
 8月11日 暑い ユース   |
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このヴァチカン市国は面積44ha、人工1000人と言う世界一小さな国でローマ市内にある。ただ全世界に約8億人いるカトリックの総本山。1929年にイタリアから独立。
今日はヴァチカンの日。7時半に起床して 105.ヴァチカン美術館(5)(Musei Vaticani)に付いたのが8時半。ただ現金がなかったのでキャッシュマシーンを探しに歩く。二つあったけどどちらも動いていなかった。回線がつながっていないとか。イタリアらしい。仕方なく美術館に入ったけどぎりぎりチケットが帰買えるだけの現金はあったのにホッ。詳しくはリンク先を見てほしいけど、作品数がとにかく多いので何かに的を絞ったほうがいいと思う。例えば天使やマリアを見るにしてもどんな意味が込められているかを見るのも面白いし、石像などは石でどうやって人間の柔らかさを出しているのかというのも面白いかも。ゆっくり周ったつもりはないけど総てを見て周ったので5時間ほどかかった。その後はカトリックの総本山、 106.サンピエトロ寺院(5)(Basilica di San Pietro)へ。ミケランジェロによって16〜17世紀にかけて設計、再建された。外見ももちろんすごいけど総本山だけあってこれまでで最高に豪華できれいで芸術的。ここでも服装チェックがあって、念の為にジーパンを持って行ったのがよかった。他の教会では短パンやタンクトップを禁止している所があるけど、短パンまでは気にしないのが普通だけどユースで他の人が短パンでは入いれないと言っていたので。中はそこそこ涼しいけど、外は炎天下なのでここまでジーパンをはいてくるのはかなり厳しい。中央に祭壇等は特になかったけど円柱などその太さと言いやはりこれまでで一番(完全に次元が違う)。円柱、壁に装飾があって、それがまたすごい。円柱と言っても直径だけで2〜3mあって4〜5mある彫刻が本当に今にも動きそうなほど精巧に造られていたのが印象的。ほとんどが下を向いていて訪問者(信者)をじっと見つめている。教会らしくなにか戒めるような目をしている。天井も一番高く感じたし門や扉も極端にでかい。今まで見てきた中でも一番しっとり周りの雰囲気に溶け込んでいるミケランジェロ作の”ピエタ”(死んで十字架から降されたキリストを抱くマリア像)は入ってすぐ右にあったはず。中央にある4本の円柱(ドームを支えるための物)の1つから聖ピエトロの墓へ行く階段がある。その後はクーポラ(展望台)へ登った。階段とエレベーターの2つの道があるけど値段の違いは百円ほどなのでエレベーターを選択。一気にドームまで上がる。ここからは教会の中(中央の祭壇)が見えて、そこからドーム自体をら旋上に上がって行くとドームの頂上まで行ける。間違って下りの階段を上ってしまったので途中までは何とかなったけど、最後のら旋階段は1人がやっと通れるような物だったので厳しかった。なんとか隙をねらって頂上へ。ここからはヴァチカン市国が総て見渡せる。もちろんローマも見えるけどヴァチカンがどれだけ小さな国なのかがよく分かるはず。一応一部には城壁がある。今まで見た教会とあわせてみてどれだけ宗教(キリスト教)がすごいもので、ヨーロッパの文化に影響を与えたかが分かるような気がした。王様がいた城と比べて教会の方が豪華であることが多いのも分かるような気がする。学問や芸術にしても多くが宗教と共にあって、今にいたっている。彫刻や絵画にしても神を描いてそれから王や学者などを経て身近なものや自然へとうつって行ったために印象派や写実主義などがある。その延長上に現代美術もあるのだから多くがつながっている。日本人にはなじみのない物でもある宗教も結局はどこかでつながっている。月並みだけどここは当然教会、それも総本山なので日本人として、人間として最低のマナーだけは守りましょう。この寺院の前のサン・ピエトロ広場もすごい芸術品。ドーリア式の円柱が284本並んでいて回廊を形作っている。この回廊は鳥が翼を広げたようなデザインでキリスト教が人種、性別等差別無く誰をも受け入れることを意味している。至福の(?)時間を過した後は教会を後にしてユースへ。今日はヴァチカンにしか行かなかったけど充実していたので疲れた。寝る。 |
 105.ヴァチカン美術館
 106.サンピエトロ寺院
 ヴァチカン市国
Vol2 Vol3 |
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 8月12日 暑い ユース   |
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今日は朝から 少し頭痛がする。昨日、おとついと歩き回って疲かれすぎたのかもしれない。ただユースは9時までにチェックアウトなのでボルゲーゼ公園へ。着いたのが10時半頃で、その前にAdriatica Line社でギリシャ行の船の予約を。これは地下鉄Barberiniaのすぐ近くにあって、後は住所を調べて各自で行きましょう。公園で1時間半ほど寝てもまだ頭痛がしたけど動かないと。ボルゲーゼ美術館へ行くけど3時からのチケットしか手に入らず。入場制限をしているらしく、仕方なく 107.国立近代美術館(2)(Galleria Nazionale d'Arte Moderna)へ。これは公園の北側にあって暑い中かなり歩いた。その後 108.ヴィラ・ジュリア博物館(2)(Museo Naionale di Villa Giulia)へ。ここは古代の陶器などが置いてあった。特に何かがあるわけではないけど2000年以上前に描かれた絵がいまだに残っていた。そして再度 109.ボルゲーゼ美術館(3)(Museo e Galleria Borghese)へ。その後ブラジル公園を抜けてヴェネト通りから駅へ戻りナポリへ。ナポリに行く前に洗濯物を洗うためにコインランドリーへ。短パンを洗うためにジーパンをはき、上半身裸で後はすべてほうり込んだ。男であればこれぐらいやってもイタリアでは問題なし。町中を上半身裸で歩いている奴なんて山ほどいる。”なに見てんだよ!”ぐらいの気持ちでいればいたって普通。ここの係員がまたこそくでイタリア人ぽい。一度お金を直接払ったのに乾燥機に入れる時にお金を払えとか言ってくる。”なに言ってんだよ、もう払ったよ!”と言うとわざとらしく”ああそうだった”とか行って気持ち悪い作り笑いをしてポンと肩を叩いてきたりした。イタリアではへらへら日本人らしくしているとどんどん付け込んでくるのではっきり自己主張しよう。一度立ち止まって話を聞いたりするとかなりやっかい。手を引っ張ってまで何かを買わせようとすることもざら。 |
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 ローマ・テルミニ駅 → ナポリ |
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ナポリに着いたのは9時半前。ガイドブックにもたいしたことは載っていなかったので一人で探す。この頃になると小物とはいえかばんは土産物でかなり重く、肩がちぎれそうになる。駅を出てすぐ左手にホテルのマーク(いっぱいあるけど)へ。そこに入って最初5万リラ(5千円ほど)と言われる。1万5千と勘違いして( フィフティーンとフィフティの違い)いたけどそんなに安いわけはないと思って聞き返す。イタリア人らしき観光客がナポリにはこれ以上安いホテルはないと教えてくれたし、あながち間違ってもいないと思ったのでここに決定。(旅行中他人はあまり信頼しなかったし第一できない)シャワーなしの部屋がもっと安かったのでそこに決定(シャワー共同)。部屋に入った後はバクスイ。この日中軽い頭痛がしていたので無理はできない。無理をしても風邪を引けばお金も時間も飛んで行って、今まで節約した分もパーになる。 |