旅行記

物語T 7/15〜7/24

ここからはメインの旅行記に入ります。旅行中にやったこと、訪ねたところ、観光地についてだらだら書いているので長くなります。忍耐強い人は読んでください。

イギリス

 7月15日 普通 フェリー乗り場

 

ロン

ドン

何と初日から寝坊!時計を見た瞬間”俺らしい!”と思いつつ(感心してる場合ではない)、急いで出かける準備をする。(当然前日にほとんどは済んでいます)午後3時に家を出発して地下鉄でVictoria駅へ。この駅はいつも語学学校に行く時に使ってたので使い慣れているけど、ドーバー行きの列車が出ているとは知らなかった。とりあえず駅に着いたのが4時半頃。駅に入って左の方(大きすぎて誰にも”左”は分からないと思うけど)にフランスに行く国際列車と船の予約オフィースがある。ドーヴァーまで2時間強。

ロンドン? 大英帝国の首都ロンドン。他のヨーロッパの街と比べて思ったより観光地が少ないと感じるかもしれないけどアメリカのように自己主張をするものばかりでないのがロンドン。一つ裏の路地にポツンとある老舗マーケット、あまりにも巨大すぎる(?)公園にパブがあればこれでロンドンができてしまう。ミュージカルも忘れずに。サッカーも。

 ロンドン・ヴィクトリア駅 → ドーヴァー

 

カレー

駅に着くとタクシーでフェリー乗り場へ。確か2社フェリー会社があったけど”P&O Stena Line”と言う会社でフランス・カレーへ。手荷物チェック、ボディーチェック、パスポートチェックの後、島国イギリスからユーラシア大陸へ出発。船から見たドーヴァーの海岸は白くて絵葉書のようだった。

 

 ドーヴァー → カレー

 

 イギリス人とは?

 

留学中なので、イギリス人については良い面よりも悪い面によく目がいく。(人間そんなもんです)イギリス人は一言で言うと個人主義かつ合理的であり、これが良い面も悪い面も作り出す。良い面の一つは干渉しないこと。他人が何をしようが自分は自分であり、服装がどうであろうが人種がどうであろうが髪が真っ赤であろうが表面上はどうでも良い。(だからファッションセンスがない人種といわれている?)極端言うと、"How are you ?"と聞いて相手が"Yes"と言おうが"No"と言おうが関係ない。ただ単に"Fine"と言おう。(極端です)同時に自分の考え方がすべてであり、日本人のように他人に流されない。(だからファッションセンスが悪い?)ここは多いに見習うべき所だと思うけど。その結果近づきにくく、Gentlemanとは名ばかりで親切心をあまり表に出そうとはしない。また歴史の関係で”イギリスが世界一”と思っている人が多く、他の人種を見下すこともあり(あからさまに)店のカウンターで品物を持って待っていても店員は隣の人と喋っていることも多い。(むかつく!アジア人の時だけひどく見えるけど)同時に、この国ではお客様はただの”客”であり、サービスの”サ”の字もないのがイギリス。(今までの経験から日本のサービスは世界中でダントツ一番)英語には”The customer is always right."ということわざがあるけど、日本語には”お客様は神様”という格言がある。他人をあまり信じないのもイギリス人で、いつもなにか疑っている気がある。(会話の中で聞き流すのが多いのもイギリス人)働くのが嫌いなのもイギリス人で、先進国の中でも生産効率が低いとか。外から入ってきた文化にしても自分たちの気に入ったものにしか興味を示さず、最近の日本ブームにしても入っているのは”寿司”だけ。改良という言葉から程遠い感じがする。(だから世界中から集まった料理があるのにまずい飯しかないのかも?)イギリスに住むとよく分るのが料理のまずさ。イギリス料理のレストランに行って(あったらの話)机の上にあるものは?テーブルマナーだけだそうです。茹でただけの野菜に塩とコショウで焼いただけの肉が皿の上に乗っていても気にしないように。生きるためです。そんな(?)彼ら曰く素材そのものの味を味わうのがイギリス流だとか。だからテーブルの上には胡椒とケチャップ、マヨネーズがのっていて自分で味付けをするのがイギリス式。イギリス人は古いものが大好き。ロンドンの店に並ぶ電気製品が数年前のものなのには納得?(もちろんすべてではないけど)アンティークという言葉がよく似合うのはやはりイギリス人。あまり知られていないことは動物好き。TVをつけると動物の番組が多い。(あのMr. Beanですら熊のぬいぐるみを肌身はなさずに持っているくらい)むつごろうさんはイギリスに行くべき?最近人気のガーデニング。日本庭園とは全く違って部屋の模様替えをするようにきれいに庭を飾りつける。部屋の模様替え自体もイギリスらしい。(Changing Room)部屋の壁から天井まで真っ白にペンキを塗ったり家具を自分で作ったりするのは楽しそう。おっと、もう一つ、日本人が散々本音と建前を使い分けると言われているのに対し、イギリス人は"Thank you"を使い分ける。伝説的な逸話が残っている。

冗談と作者の個人的体験によってこの章は誇張されている箇所があります。あしからず。

  イギリス人の罪悪感は?の巻

 

ちょっと肩がぶつかっただけでもごめんなさいと紳士的に誤るのに対して、車をぶつけても誤らないのがイギリス人。日本人が車を運転していた時にイギリス人に後ろから衝突されたらしい。日本人ならすぐに車を降りて謝りにいくのにそのイギリス人は一向に車を降りてくる気配がない。その日本人は5分ぐらいずっと待っていたところ(日本人は我慢強い)、やっとイギリス人が降りてきて伝説的なセリフをはく。”大丈夫か?”これにはもう笑ってしまうしかない。日本人は当然頭に来ていたらしく”なぜ誤らないんだ”と言うが一向に誤る気配はない。散々議論した挙げ句にやっと一言ぽつりと誤ったらしい。イギリスでは誤ることは自分の非を完全に認めることになるので、そのためあれこれ言い訳をするように子供のころからみっちり教育されている。(口喧嘩では日本人は負ける)例えあなたが典型的な日本人でもイギリスでは誤ることは控えめに。(だから日本人は違った意味で”礼儀正しい”などと勘違いされている。)運良く(?)イギリスで車をぶつけてしまったら"Are you OK ?"と聞いてみよう。(当然100%、誤れといわれます。)

フランス

船に乗ること2時間ほど。午後10時頃到着。予定は1時間半のはずだけど…船の中には免税店も在ったけど、時間が遅かったのか閉まっていた。煙草が…カレーに着くとさっそくパリへ出発、と行きたいところが列車はすでになかった。仕方なくフェリー乗り場で夜を明かす。先に着いた旅行者が20人ほどいて、すでに寝袋で寝ている人もいる。テキサスから来たカップルと少し喋って、かばんを枕代わりに熟睡する。貧乏旅行の始まりです。(寝坊したのが悪いだけだと思うけど。)

 

 7月16日 ぴりさぶ ユース

 

 

6時間足止めされた後、早朝5時頃にバスに乗り(無料)、カレーを出発。

 

 

 カレー → パリ・北駅

 

パリ

到着後すぐに地下鉄でモンパルナス駅へ。最初の観光地に近づくためにTGVを利用してレンスまで移動。

パリ? 文化の国、フランス。その首都で芸術の都、パリ。美術、文学、映画、演劇、料理。女性雑誌がパリの特集さえしておけば1年中飯を食べれるのもうなずける。街を歩けばそこら中に美術館が立っていてそれに加えて画廊、劇場、アトリエなど何もかもが芸術一色。歩きつかれたらフランス料理を堪能し次の日はまた美術三昧。

 

 パリ・モンパルナス駅 → レンス

 

レンス

TGVは日本の新幹線のように専用の車線を走るわけでないのでフランスの黄色い麦畑やトウモロコシ畑が窓越しに見えて、どこか違うところに来たなと感じる。(イギリスの田舎は牧草地が多くてこれとは違う。)ル・マンでTGVを降りて、ローカル線でレンスへ。駅に着いて乗り換えの列車を探してもすぐに出発するものがないので遅い昼食をクロワッサンとコーヒーで取る。

1.モン・サン・ミッシェル

モン・サン・ミッシェル

 レンス → ポントルソン

5時に駅に到着。最初の観光地1.モン・サン・ミッシェル(5)(Mont St. Michel)に行くバスに乗ると15分後には観光開始。あいにく曇っていたけどまさにルパン三世の奇岩城。干上がった干潟の中に人工的に作られた島がそびえ立っていて、近づくとその現実性に言葉がない。五時半に頂上の教会が閉まる予定だったので坂道を走って上る。背中にバックパック、リュックは前にぶら下げて走って汗だらだらでチケット売り場にたどり着くともうすでに店員は首を振っている。ここで引き下がると明日またここに来ないと行けない。ただでさえ”寝坊”で時間をロスしたのだからここで引き下がるのは我慢ならない。まさに餌をねだるペットのようにチケットをねだると何とか最後の訪問者になることができた。中の教会は特にたいした物ではなかったけど、そこから見る景色は最高だった。帰りに降りてくる時のクネクネ曲がった参道は日本の神社の物と同じよう。島の中のホテルはさすがに高く300〜500F(六千〜一万円)もするので駅へ向かった。列車の数が少ないのでここに来るのは少し大変だけど、来るだけの価値はあったと思う。駅の近くにユースホステル(42F:900円弱)があったけどバス、タクシーがなかったので9キロの道程を歩いて変えることに。ここである衝撃的な事件が起こる。

  フランス人は情熱的?の巻

 

駅までの道程を1キロぐらい歩いたところで一台の車が止まった。ヒッチハイクのサインをしていたわけではないのでびっくりしたけど、やさしい人もいるなと思って窓越しに話しかける。見た所、モン・サン・ミッシェルから帰る一組の夫婦。とにかく乗り込んで近くの駅まで乗せてもらうことに。初めはあまり信じていなかったけど話しているうちにもう少し大きい駅(ランス)まで連れて行ってもらうことに。ランスに着くと突然女の人が降りてしまう。成り行きに任せていると彼が家に用事があるので帰ると言い出す。家に着くと一人の男性が彼の家を夏期の間借りるとかで家の中を案内されていた。結構高そうな家で、どう見てもちょっとしたお金持ち。その後、することもなかったので紅茶をごちそうになる。と、突然彼が香水をほっぺたに付けて嗅いでみろと言い出す。(ゲイ度:50%)なすがままに嗅いだ後しばらくして、彼が夕食でも食っていけと言い出す。ここで下手に出るのは火に油を注ぐようなもの。仕方なくサラダを切ったりして手伝っていると、あっという間にテーブルはきれいに皿がならべられてろうそくまでのっている。最後の晩餐!そのうちワインでも飲まないかと言われる。おれは酒が飲めない。ここで酔っぱらってまな板の上の鯉になってはいけないと思いつつも断ることはできなかった。時計は11時を回り、意図的に時計を数度見た。早く帰りたいことをどうしても伝えたかった。そして、自分の耳を疑う大発言。"How do you think about gay people ?" (ゲイ度:完璧・本物)もう体中の血液が血管の中で幼稚園の子供のようにキーキー言っている。心臓の回転数は六千回転を越えていた。結局ユースホステルに連れて行ってくれる様子だったけど。玄関を出る時に痛恨の一撃 車で送ってくれたけど、着いた時に心の中で助かった!と叫んでいた。おっと、もう一つ。ユースに行く途中に彼が”この後ここに行くんだ”と居酒屋を指差す。居酒屋を英語に訳すと”パブ”。もう一つ、”バー”にもなる。この場合は”ゲイバー”。”ご自由にどうぞ!”と思いつつ、”ちゃんと連れていってくれますように”と心の底から願った。これがゲイ専用のユースだったりしたら面白かったかもしれないけど、笑い事ではなかっただろう…

 

 

長い一日が終わる。これが長い2ヶ月の旅行の2日目に起こるから面白い。”なにか楽しい旅になりそう”と思いつつ無事に一人で床に着けたことを訳もなく感謝。おやすみなさい。

 

レンス

 7月17日 普通 ニコラ宅

 

朝7時起床。お金を払うためにフロントに行くと日本語の本を発見。題名ずばり「大物になる頭の使い方」。(知的生きかた文庫・見山 敏)けっかいな本だと思ったけど、”旅に本があるといいかな”と思いリュックにほうり込む。予定外(?)にランスに来れたのでさっそく出発。(朝食なし)少し冷たい朝風の中、近くにいたはにかみ屋のきれいなフランスのねえちゃんに道を聞いて、バスで駅へ。友達に会うためにナントへ。

 

 レンス → ナント

 

ナント

駅に着いて電話をしてしばらくすると、プジョーに乗って友達のニコラとその彼女が登場。

 

ニコラ:同い年のフランス人。冗談好きでいつも笑っているけど、フランス人の笑顔でかっこいい。フランス語で数字の4を自分が発音するとその完璧な発音にいつも笑う面白い奴。お酒はダメ。

 

フランス車で現れるところが彼らしいと思いつつ(当然?)、その足で昼食を取るためにナントの中心部へ。何を食べたか忘れたけど美味しかった。ぶらぶらナントを散歩した後にニコラ宅へ。その後ニコラの彼女の家で夕食を取ってボーリング。今夜は身の危険を感じずに眠れそう。

 

 7月18日 暑い ニコラ宅

 

ロワール地方

劇も見たよ!

今日はロワール地方の古城巡り。ニコラが車で連れて行ってくれるみたい。朝起きて朝食を取った後にサンドイッチを作って出発。2.アゼー・ル・リドー城(3)(Azay le Rideau)は田舎の住宅地の中にぽつんとあるこじんまりした城。中よりも外から見たほうが断然きれいでまさにフランスのお城と言う感じ。小さな人工湖に映る城もきれいだし、敷地内を流れる川も最高。静かな田舎の小さな別荘のようなお城。3.ヴィランドリー城(4)(Villandry)道の両側で果物や野菜を売っているような田舎道を車でずーと行くとポツリと目の前に巨大な屋根が見えてくる。庭園がきれいなお城。3つの庭があってそれぞれが独特の雰囲気を持っている。幾何学模様の庭園、泉水式庭園、野菜や果樹が植えられた庭園がある。後、ブドウの木で囲まれた道があったりして手入れが行き届いていてきれいだった。フランスのお城は独特の雰囲気を持っていて、日本の城のように上に行くほど先が尖っていくピラミッド型ではなくて積み木で作ったように円柱系の塔があったり絵本に出てくるような屋根を持っている。ロワール地方は名前の通り一つの町でないのでたくさんある城も一日数箇所しか回れず今回はこの二つだけ。家に帰ると夕食の時間。家の一角に炭火を起こせるような場所があって、そこでちょっとしたバーベキューを食べた。夜中にニコラが劇を見に行かないかと言ったのでとりあえず付いて行くことに。4.フランスの劇(5)最初は何がなんだか分からなかったけど駐車場に付くととにかく車だらけ。小さな町らしいけど、この劇でかなり収入があり結構フランス内でも有名ならしい。おりしも数日前にフランスがワールドカップで優勝していたので、劇が始まる前の観客は"We are the champion."と歌っていた。(もちろんフランス語で)まったくどんな状態か分からなかったけど席に着くと目の前は城。観客席と城の間には人工湖もあり、観客席自体、まさにサッカー場そのものだった。しばらくすると劇が始まる。内容はフランス革命が中心でそれから第二次大戦を経て現代につながっていた。古い衣装に着飾った騎士が馬に乗って駆け回ったり、城が燃えたり、湖の上を人が歩いたりして臨場感たっぷり。室内でないぶん、やることも派手。最後には花火も上がって拍手喝采。演出がもちろんフランス式で、アメリカのように単純でなく、ちょっとした所に気を配ってあるのが見ごたえがあった。田舎町なので日本人どころかフランス人以外の観光客はほとんどいない。普通に旅していては絶対に見られないものが見れたのでニコラに感謝。フランス語が分かればより面白かったのに…(入場の前にニコラがヘッドホンを予約しておいてくれたので英語の翻訳が聞けたけど、実際は完全にすべては訳されていなかったみたい。)帰りに駐車場で車を見失う。(よくあること)予定では明日出発。

2.アゼー・ル・リドー城

3.ヴィランドリー城

3.Vol2

3.Vol3

3.Vol4

 

 7月19日 蒸し暑い 夜行

 

 

朝起きると空は快晴。朝食を取る間もなく出発。近くのスーパーでフルーツとクロワッサンを買って駅へ向かう。どうもフランス人の会話は美しすぎる。”ボンジュール”などと言われると体から力が抜けてしまいそう。とにかく駅に着いてニコラとはひとまずお別れ。とにかくお世話になって、楽しかった。ぜひ日本に来てほしいけどなかなかそうも行かないだろうけど。”オー・ルボワール”、”メルスィー・ボーク”。

 

 ナント → ボルドー

 

ボルドー

ボルドー? 言わずと知れたワインの町。人工23万人、フランス第6の都市。

とりあえずここから本当の一人旅が始まる。目先の目的地は西。先にポルトガルに行っておこうと思って、スペインを通り抜けてリスボンへ行く予定。ワインの街で有名なボルドーには乗り換え時間の関係で途中下車。時刻表の上では2時間しか余裕がなかったのでタクシーで5.カンコンス広場(2)(Esplanade des Quinconces)へ。ここまで来ると南フランスに入るのでかなり暑い。Tシャツ一枚になって、水でフルーツを洗って広場でボーッと食べる。安らぐひととき、フー。ヨーロッパ一大きい広場らしいけど(ちなみに世界一は北京の天安門広場です)、要は何もない運動場。広場にはボルドー生まれのモンテスキューとモンテーニュの像が立っていた。はぁ、な、なるほどと見てみる。何もぴんとこない。タクシーがなかなか見つからないので歩いて駅へ。

 

 ボルドー → ダックス → イルン

 

国境

イルンはスペインの国境の町。乗り換えのために降りたけど両替所がない。ATMもなかったので何も買えない、何も食べれない。(現金がない)仕方なく次の列車に乗り込む。

 

 イルン → リスボン・サンタ・アポローニャ駅

 

 

いきなり追加料金を取られる。11時間の列車の旅だけど、列車の中ではいつも寝てるからそれほどきつくはないけど。

 

 フランス人とは?

 

今回はフランス人と話す機会はニコラ以外あまりなかったけど、前回の感想だと少し気難しい人が多いみたい。英語を話す人はかなり多いけど、どうも話したがらない人が多い。(おそらくこれがフランス人に対する第一印象)友人(フランス人)はフランス人は英語があまり喋れないからだと言うけど、自分からするとどう見てもフランス語に固執しすぎ英語でいきなり話しかけると多くの場合、あからさまにいやそうな顔をする。ただ一般的に教養がかなりあって、あからさまに”馬鹿”なことをする人は見かけない。基本的に古いものを大切にするので時に新しいものを受け入れないのも特徴。(だからフランスのディズニーランドは年中がらがら?)エッフェル塔ができた時パリの市民が散々にこけおろしたことは有名。日本との文化交流は日本の圧倒的輸入超過状態が続いているけど日本の浮世絵がモネやゴッホに影響を与えたこともある。(「睡蓮」を見よう)実際モネの家には日本庭園のみでなく膨大な浮世絵のコレクションがあるとか。ヨーロッパの中でもまだ日本文化が浸透している様子。(ほとんど他と変らないけど)ファッションにしては一般的に見て敏感らしく、どこかの国の人のように(自分の国を"Great"とか呼んでいる国民)のように粗野な物は着ていない。ただヨーロッパで一番臭い国民なのは確か。(フランス人が年間に使う石鹸の量イギリス人が使うものの半分にも満たない。)フランスの香水があれだけ有名なのもうなずける。(必要は発明の母?)あのルイ・14世等の華やかなフランス宮廷の女性でさえ下着を着けていなかったのを知っていますか?(ふんどしはすばらしい?)それに加えフランス料理はにんにくを山ほど使う料理です!?何だかんだ言ってフランス語のあの官能的な発音にはとろけそうになるけど。(実際フランス人もそう考えているから外国語をしゃべらない)パリでは特に日本人に対する評判は特に悪い様子。(ブテックで服を買いあさる方々のせいですよ!)

ポルトガル

 7月20日 暑い 臨時ホテル

 

リスボン

リスボン? ヨーロッパの最先端に位置しているポルトガルの首都リスボン。かつてこのリスボン港から多くの冒険家が世界に出て行った。(だからブラジル人はポルトガル語を話す)日本もかつてこの国から文化を吸収している。今ポルトガルに残るのは世界を征服したかつての栄光ではなく青い空と白い町並みのみ。

朝の8時前にポルトガルに入る。パスポートチェックはあったけどスタンプは押してもらえなかった。予定より2時間遅れてリスボン入り。忘れていたけど時差が一時間あるので1時間遅れ。とりあえず動き出そうとコインロッカーを探したけど現金がない。現金がないと物も買えなければ荷物も預けられない。英語表示がないし、誰も英語が喋れないので駅から少し歩いて銀行へ。これがATMか?確か駅にあったような…とりあえず身軽になったのでタクシーでロシオ広場へ。フォス宮にあるインフォメーションで地図を手にいれてロシオ駅の近くのケーブルカー乗り場へ。このケーブルカーの雰囲気はなにか独特。観光客も多いけど地元の人も使っていて買い物帰りのおばさんも多かったりする。電車自体最初から傾いていて、住宅街の曲がりくねった坂を登っていく。ケーブルカーを降りると6.サン・ロッケ教会(2)(Igreja São Roque)。今までに見た教会とはまったく違って、モザイクで壁や柱が飾られていた。日本の天正少年使節団がここに一ヶ月ほど滞在したらしい。そんな面影や記念碑等はまったくなく、こじんまりした教会で見るものもあまりなかった。出がけに一人の作業員が修復のため壁に直に絵を描いていたのが印象的。日本のお寺に直接絵を描いたら怒られるだろうなと思いつつ次の目的地カルモ教会へ。残念ながら探せど探せど見つからない。曲がりくねった道をぐるぐる歩いて、地元の人に聞いても誰も知らない。(英語が通じない)しかたないので、今度はリベルダーデ大通りを経て7.エドアルド7世公園(4)(Parque Eduardo)へ。このリベルダーデ大通りはリスボンでもっとも大きいにぎやかな通りで、道の中心は遊歩道になっている。(その下は地下鉄)エクアドル7世公園は小高い丘の上に立っていて中心部を眺めるとその先にはリスボン港が広がっていて最高の眺め。とりあえず遅い昼食を取ってガイドブックを見てシントラに行くことに決定。一人旅なので自分で決めて即座に行動。

ケーブルカー

7.エドアルド7世公園

 

 リスボン・ロシオ駅 → シントラ

 

シントラ

シントラは終着駅。リスボンから少し内陸に入った小さな町。まず駅から中心部まで2〜3キロほどの道程をバックパックをしょって歩く。(駅にロッカーがない)インフォメーションを見つけてまず宿を捜したかったけど駅の近くにしかないらしい。仕方ないので歩いてまた帰ると駅にホテルの予約要の窓口があった。シーズンだったみたいで、安い宿はすべてうまっていたので1万円以上のものしかないとか。安いものがよかったので、普通の人の家に泊めてもらうことに。ただ値段が5000Esc。(4000円弱)ポルトガルでは高すぎると思ったけど、これからリスボンに帰るわけにも行かないと思い決定。普通の家の普通の部屋で夕食・朝食なし。仕方なく夕食を取りに外に出てレストランを探そうにもないので、スーパーでなにか食べる物を見つけて帰る。困った。計画を立てないと。

8.ペーナ城

8.Vol2 8.Vol3

9.王宮

 

 7月21日 心地よい 夜行 時々

 

まずは重いバックパックとリュック(しかたない)を背負って8.ペーナ城(4)(Palácio da Pena)へ。ここはかなりアラブ系の雰囲気が強くてモザイクで壁は飾られていた。小高い丘の上にあるので、途中までタクシーで行ったほうがいいと思う。城からの眺めは悪くはない。ただ周りは城が幾つかと後は緑一色。9.王宮(3)(Palácio Real)は特に特徴はないけどシントラはあまり行く所がないので行ってみてもいいかも。点々とお城が幾つかあるけど、時間かお金がある人以外は行きづらい。旅の最初にしてはゆったりと周っている感じなので、リスボンに帰った後は少し忙しくするつもり。

 

 シントラ → リスボン・ロシオ駅

 

 

とにもかくにも駅で荷物を預けてすぐに出発。次の目的地は街の少し西にあるので列車を使う。(10分程)この旅最初の美術館は10.グランベルキャン美術館(2)(Museu de Calouste Gulbenkian)。一番近い地下鉄を降りてから看板も何もなかったので探すのに少し苦労したけど。

11.ジェロニモス修道院

11.Vol2

12.発見のモニュメント

12.Vol2 世界地図

リスボン

 リスボン・カイソ・ド・ソドレ駅 → ベレン

リスボン・カイソ・ド・ソドレ駅から3つ目ぐらいの駅で降りて、11.ジェロニモス修道院(5)(Mosteiro dos Jerónimos)へ。正面から見るとこの教会は壮大です。横に長い構造で、正面からはどんな構造なのか分からない。とりあえず中に入って切符を買おうと売り場に行くと”後30分しかないけどいい?”と聞いてくる。そんなに大きいのかと思ったけどとりあえず”Yes”。時間がない。中庭がきれいで、小さな細工が印象的。協会内にステンドグラスが多数あり、”きれいだなー”とひたっている頃には閉館の合図。ちぇっ。修道院から視界の中にすでにあるのが12.発見のモニュメント(4)(Padrão dos Descombrimentos)。この発見はポルトガルがかつて大航海時代のまっただなかにいた時の発見で、それぞれ発見した国名と年号が世界地図の上に刻まれていた。当然、日本の年号も刻まれていて、1541年となっていた。ここがポルトガルらしいのか、実際は1543年で、発見したのではなくて日本に漂着したのを日本人が助けたのだと思うけど。これから後に日本は鉄砲を使うようになり、こんぺいとうやかりんとう、カステラ、はたまた日本食の一つ”天ぷら”も伝えられた。面白いのはそういった物は今のポルトガルには残っていないこと。こんなヨーロッパので日本との関係が見つかるのだから面白い。モニュメントと言うだけあって、高さ52mの帆船をモチーフとした塔があって、一番上までエレベーターで行ける。ここからの眺めはなかなか。目の前にはさっき行った修道院がドーンとあって、後ろにはテージョ川、対岸には巨大なキリスト像などが見える。そこから見える13.ベレンの塔(?)(Torre de Belém)が次の目的地。1km程歩いた所にある石造りの塔で、残念ながら行った時にはすでに閉まっていて入れなかったのでどんな物かは分からないけど、外見は塔と言うより小さな家のような建物。しかたなくそこから近くの駅まで歩いて、リスボンの中心地へ帰る。

 ベレン → リスボン・カイソ・ド・ソドレ駅

13.ベレンの塔

14.サン・ジョルジェ城

駅に着いて少し坂道を歩く。レストランもそこそこあり、魚介類を扱った所が多いので、帰りに行ってみてもいいかも。近づいて行くと下町のような雰囲気がしてくる。洗濯物が乾してあったり子供が曲がりくねった通りで遊んでいたりして素朴なポルトガルの町並みなのかなと思いつつひたすら歩く。14.サン・ジョルジェ城(5)(Castelo São Jorge)は城自体廃虚と化しているものの、そこからの眺めは最高にいい城壁が高く、丘の上を完全に占領している感じ。運良く天気もよく、着いたのは日暮れ時。町全体が夕焼けに染まって、真っ赤だったのがとてもきれいだった。夏期は11時まで(冬期は10時)開いているので日程に組み込みやすい(無料)。ヨーロッパの街らしくオレンジの屋根、白い壁、それが無数に広がっている景色はなんとも言えない。ほっと一息ついてポルトガルとはお別れ。短かったけど暖かみのある自然な国で、すべてが自然に動いているような人間らしい感じの小さな国。それでは。

 リスボン・サンタ・アポローニャ駅 → マドリッド・チャマルティン駅

この列車、どうやら予約が必要な雰囲気。席はほとんど予約の札が付けられている。とりあえず席に着いて発車するのを待つ。出発してしまえば何とかなる。隣の人はイタリア人でその人も予約をしていなかったみたい。スペインパスか何かを持っていなかったけどとにかく二人で待つしかない。そのうち出発の十分前ぐらいに後ろの人が追い出される。その人も予約をしてなかったみたいで座っていた席に予約をした人が来て残念ながら…その間自分達二人はとにかくどきどき。素知らぬ顔をして何とかやり過ごす。列車が動き出したので二人ともとにかく安心。そのうち車掌の検札が来たけど、隣のイタリア人はパスが効いたみたい。自分のほうは予想通り問題で、追加料金を払った挙げく、席を動かされた。とりあえず、予定通りマドリッドに行けるので問題なし。パスポートチェックもなく今夜は夜行で休息。

 ポルトガル人とは?

 

 

スペインの一部のようにへばり付いているポルトガル。お隣スペインとは何もかも反対。気候、人情も穏やか。闘牛でもポルトガルのものは牛を殺さない。みんなゆったりしていて、笑顔を忘れない人達。道を聞いても親身にガイドブックをにらみながら探してくれるような人が多い。英語をしゃべる人があまりいないので、単語で意思を伝えるか身振り手振りになることが多かったけど。ただ、道を聞いても知らない時、”知らない”と言いたくないのか必死で探すこともあり。挙げ句の果てにとんでもない方向に連れて行かれたりするので、旅行者は自分を信じるしかない?歴史の中に埋もれたポルトガルにはイギリス、フランス、ドイツ等のヨーロッパの先進国にはない何かがあるかも。

スペイン

 7月22日 あっちい 安ホテル

 

マドリッド

マドリッド? 陽気なスペイン人の中でもとりわけ陽気なマドリっ子。働かずレストランでべらべらくだらないことをしゃべっていそうなのがマドリっ子。他のヨーロッパの首都に比べて物価はかなり安い

朝起きると列車の窓から見える空は快晴だった。列車も定刻到着。いいことがありそう。時計の時差を直し、さっそくホテルを見つけて荷物を置いて観光開始。15.ソフィア王妃芸術センター(4)(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)ゲルニカに対面。16.プラド美術館(3)(Museo del Prado)には期待を裏切られる。プラド美術館の東の大きな教会、17.聖イグレシア・ジェロニモ教会(3)(Iglesia San Jerónimo el Real)に寄った後は休息のために18.レディーロ公園(3)(Parque del Retiro)へ。公園にはいろんな人がいて、本を読んでいる人、話をしている人、寝ている人、なにか食べている人などまさに休息の場所。日中の気温は余裕で40℃を越えているのでみんなは木陰の中へいたのが微笑ましかった。しばらく歩くと人工湖が見えてくる。アルフォンソ12世像があり、周りには小さなカフェやアイスクリーム売り場などがあった。他にもベラスケス館やクリスタル館もある。19.ティッセン・ボルネミッサ美術館(4)(Museo Tyssen Bornemisza)に行った後、暑い中シベーレス広場を通り、20.国立考古学博物館(1)(Museo Arqueológico)アルタミラの壁画を見に行った(がっかり。教科書によく載っているやつ)。コロンブスの像を横目に最悪につまらなかった21.ろう人形館(1)(Museo de Cera)へ。ロンドンにあるマダムタッソーろう人形館のほうがまだまし。客も少ないし、ぜんぜん似てない。その後独立広場を通ってホテルへ。時間があったので宿の近くにある美術館を見付けに歩き出す。歩けど歩けど見付からず、人に聞いても誰も知らない。結局地図を見るとまったく見当違いの所にいるのが分かる。仕方なくマヨール広場に寄ってこの日の日程は終了。ここで夕食,パエリャを食す。この日記を書きながら夕日が沈むのを一人寂しく楽しむ。これが一人旅の寂しい所。スペインの最初の印象はとにかく暑い。町中にジュースやアイス売り場がありたびたびお世話になった。いたる所にある噴水が涼しげでほっとする。ただ、生活のペースが違い、何もかもがゆったりしているのでいらいらする事もあるけど。今日のお勧めは何と言ってもゲルニカとレディーロ公園。安ホテルで寝ることに。

17.聖イグレシア・ジェロニモ教会

18.レディーロ公園

 7月23日 くそHOT 安ホテル

 

 

朝起きてそのままアトーチャ駅へ。地下鉄の関係で思ったより時間がかかったけど何とか時間通り間に合う。

 

 

 マドリッド・アトーチャ駅 → アランフェス

 

アランフェス

アランフェス? 春の離宮としてフェリペU世によって作られたものがアランフェスの王宮。町の中にはほとんど何もない。

今日は郊外に出ようと思ってマドリッドを離れる。22.王宮(2)(Palacio Real)に行ってみたけど、特に特徴もなくてつまらなかった。最悪なのがガイドがスペイン語のみ。独りで歩き回れないし、結局30分程ガイドに付いて回るはめに。ただ次の目的地トレドの途中にあるので行きやすい。次へ期待。

 

 アランフェス → トレド

 

トレド

トレド? 4世紀にも渡ってイスラム教徒に支配されていたトレド。エル・グレコ(ギリシャの画家です)の心を捉えて離さなかった中世のたたずまいが今も残っている。

駅に着くとみんな急に走り出す。目指す先はタクシー。ガイドブックになにか書いてあったのかも。トレドの町は小さな丘のようになっていてその三方をタホ川が流れている。歩き出すとすぐ左手にアルカンタラ橋が見えてくる。自分が違う道を歩いているのに気づくと、橋に向かってショートカット。橋をくぐって、丘の頂上へ一直線。23.カテドラル(5)(Catedral)をまず選んで地図を片手に探せど探せど道がくねくねくねりまくっているので見つからない。そのうち高い教会の塔を見つけ、自力でたどり着く。中は豪華の一言。壁から天井から彫刻だらけで凸凹だらけ。規模、芸術性ともに高く、こんな教会は初めて。中には小さな美術館もある。そこいらの王室に負けないような宝石の量と質。超お勧めの教会。24.アルカサル(3)(Alcázar)はトレドの丘で一番高い所にあるので眺めがいい。スペイン内戦時に大部分が破壊されたため、外見は新しい。内戦時のアルカサルの様子や修復風景などが展示されているのと同時に武器等の展示が多い。ポルトガルと同様、世界征服した時の誇りが今でも感じられる。25.サンタ・クルス美術館(2)(Museo de Santa Cruz)に行った後はぶらぶら町の中を散歩することに。エル・グレコ(ギリシャ出身の画家でグレコはギリシャの意)の町としても有名でいろいろな建物が公開されていたけど、元々あまり興味がない。とても小さな町で、産業などと言う言葉から取り残されたよう。そのぶん、古い物がそのまま残っていて、周りの自然もあまり手が加えられていないので自分が求めていたようなスペインの町。この日も快晴で汗だらだらになりながらもフルーツと水片手に歩く。町をぐるりと囲む川は真緑で汚かったけど、その周りの自然に溶け込んでいてなぜかむしょうにきれいだった。あれほどうるさかった(観光客だらけ)街中も2時を過ぎると静かになる。お昼寝の時間。(スペインには”シエスタ”と呼ばれる昼寝の時間があり、多くの店は閉まってしまう)ただレストランだけは大繁盛。小さな通りの雑貨屋でスモモ5個、桃3個、1.5リットルの水を買ってたった370円程。古い町並みと雰囲気が残るトレドは旅行の計画に組み込んでもいいかも。帰りの電車ではなぜかクラシックがかかっていた。疲れた、お休み。ちなみに、列車の中で見た温度計は42℃。最後までこのぐらいの気温が普通で、絶対に日本より暑い。

トレド

街の入り口

街の周りを流れる川

 

 トレド → マドリッド・アトーチャ駅

 

マドリッド

今日はこれで終了。スーパーに行って食料品を買い込んでホテルへ。今日の夕食はパンとフルーツと水。修行中です。

26.アルカサル

26.Vol2

  

27.カテドラル

27.Vol2

28.ローマ水道橋

 

 7月24日 くそ暑い 安ホテル

 

7時起床。(信じられない?)今日も晴れ。昨日ホテルのおばちゃんが服を洗ってくれたので助かった。旅行中の洗濯は非常につらい。大都市にはコインランドリーが幾つかあるけどどこにあるかは分からない。探す時間もないし、空いている時間に洗濯して2時間ほどつぶすのも馬鹿らしい。このホテルはきれいでなんでもやってくれたので助かった。シャワー・トイレ付き(ごく普通のホテルと同じ)で、朝食はない。これで2千円弱なら文句なし。電車の中でクロワッサンを食べながらセゴビアへ向かう。(美味しくない)

 

 マドリッド・アトーチャ駅 → セゴビア

セゴビア

セゴビア? ローマ帝国時代に作られた水道橋が今も残るセゴビア。2000年もの歴史を刻んで今も残るのには驚き。

着いてすぐにタクシーで26.アルカサル(3)(Alcázar)へ。ディズニーの白雪姫のモデルになったと言いわれる城でもっとなにかきれいなところかと思ったけど見る場所が悪かったのか特にきれいだとは思わなかった。城の中には特別な物はない。ただ、3方は崖なので眺めがいい。27.カテドラル(4)(Catedral)は予想以上に豪華でトレドの物には及ばないものの豪華で芸術的だった。小さな美術館のような部屋もあり満足。28.ローマ水道橋(4)(Aqueducto Romano)全長約1k程の水道橋で一世紀後半に作られ、約百年前まで使われていたらしい。残念なことに修復中だった。一つ一つの石が想像以上に正確に積み重ねられているのにびっくり。一世紀後半にここでこんな物を作っていた時、日本では何をしていたのだろうと思うと歴史の違いを感じる。タクシーがなかなか捕まえられなかったので駅まで歩く。

 

 セゴビア → マドリッド・アトーチャ駅

マド

リッド

列車の中では次の計画を立てるのに2時間かける。いくら時刻表とにらめっこをしてもいい接続が見つからない。コルドバ・グラナダ間(南スペイン)の列車が見つけられない。南スペインの列車は最悪と聞いていたけど、これほど使いにくいとは。予約しないと他の列車は真昼間に走っている。そのうちマドリッドに到着。

 

マドリッド到着後にすぐに29.王宮(4)(Placio Real)へ。王宮に行く時にまず見えるのは王宮の正面にあるアルムデナ教会。王宮に入ってすぐにX線の検査があって焦っていたのかカメラを忘れたほど。中は豪華だけど他の城や王宮と特に変わったこともなかった。ただその規模が違う。隅から隅まで金ピカで皿、壷、絵画、シャンデリアなど目が幾つ合っても足りないぐらい。こんなに豪華なのはたぶんベルサイユ宮殿以来。建物自体とにかく荘厳で巨大、芸術的なので一目見ると強烈な印象が残る。教会は確か入ることはできなかったけど大きく王宮と同様に荘厳。これを作れと命令した人も作った人も絶対にばかだと思うほどすばらしい。太陽がまだ頭の上にあるけど市内観光はまだ続く。スペイン広場を抜けてデボ神殿オエステ公園へ。スペイン広場はなにか不思議な波長があって時間があれば休憩してもいいかもと思った。当然そんな時間はない。デボ神殿なんか特徴のない巨大な石の固まり。ガードマンがたった一人警備をしていたのが少し微笑ましかった。地下鉄で中心街に戻った後もまだまだ続く。デスカルサス・レアレス修道院に行っても閉まっている。あきらめずに、落ち込まずに前進。30.王立聖フェルナンド美術館(2)(Museo Real Academia de Bellas Artes de San Fernando)でむかついて出た来た後はスペイン最悪の出来事が待っていた。昨日と同じ安ホテルに泊まろうと思って帰ると部屋がないとか。親切にその人の妹が経営しているホテルを紹介されて前金2000円を払ってアトチャ駅へ列車の予約へ。これがまずかった。駅に着くといらいらしっぱなし。日本の銀行や郵便局と同じように待ち番号を受け取って待つこと30分。カウンターの係員は英語が通じない。他の人を呼んできても英語が通じない。しまいには”英語をしゃべるな!”などとのたまわる。結局長い間待たされた挙げ句何もできず。仕方なく明日の列車の予約をしに。(スペインの窓口は当日と翌日以降の予約で窓口が違う)違う窓口に行くとAVE(新幹線のようなもの)の予約は簡単にできるとか。それまで寝台の予約をさんざん断られたのでこれには拍子抜け。計画を変更してその日のうちにAVEでコルドバに行くことに。荷物を置いていたために宿に帰るものの予想通り前金は返ってこない。最悪の気分でアトーチャからコルドバへ。(大金ではないもののかなり悔しい)自分が悪いとはいえ。首都の国際駅の係員が英語を喋れないと言うのは恥ずかしい事だと思うけど。たまにはこういうこともあるさ。スペインを早く出たい。

29.王宮

デボ神殿

 マドリッド・プエルタ・デ・アトーチャ駅 → コルドバ

 

コルドバ

コルドバに着いて思ったより小さな街なのにびっくり。とりあえず時計の針は11時に近づこうという時間。宿を捜さないと野宿するわけにはいかない。タクシーで中心地に行ってガイドブックに従って探せど見つからない。(いっつも)こういう時は誰かに聞くのが一番。旅を始めるとなんとなくこの人は知っていそうかそうでないかが分かるような気がしてくる。とりあえず目的の宿を捜してほっと一息。なんとかベッドの上で寝られる。今日はよく歩いた。

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