旅行記

物語X 8/25〜9/4

オーストリア

 8月25日 かなりさぶい 安ホテル

 

ウィーン

 

ウィーン? ウィーン・フィルハーモニーのニューイヤーコンサートで新年を迎えるウィーン。言わずと知れた音楽の都。多くの画家がパリに集まったようにここには多くの音楽家が集まった。モーツァルト、ハイドン、ショパン、ヨハン・シュトラウス、ベートーベンなど誰もが知っている作曲家がこの街で活躍した。

疲れていたのか朝早く起きられなかった。まず、美しい泉と言う名の147.シェーンブルン宮殿(5)(Schloß Schonbrunn)へ。駅を出てまず目の前の大通りを渡ったほうがいい。そうしないと後で大通りを横切るはめに。それから右に行くと宮殿が見えてくる。歩いていると左側に見えてくる長い建物も宮殿の一部。まず思い出したのがヴェルサイユ宮殿。似た所が多いけど大きさが違う。ヴェルサイユの方が特に庭が大きい。まず建物に向かって左の方から宮殿に入って、チケットを買う。1時間程入場に時間があるので庭に出る。向かって右側から入れてここからの庭はまたきれいで整備がいきとおっている。花といい木といいよく手入れしてあってイギリスのガーデニングとはまた違う。ただここで雨が降り始めてくる。少しすると小降りになったので宮殿の正面にある噴水に向かって歩き出す。丘の上まで上がるとこれまたきれい。丘の上の建物は屋上まで階段で上がれて、両側にそれぞれ階段がある。そこから宮殿に帰ってチケット売り場を抜けてずっと奥へ行くと人の山があった。チケットの時間を数分過ぎていたので人をかき分けてゲートを抜ける。入口で英語のガイドフォンと日本語の解説が書いてある紙をもらってすぐに2階へ。この宮殿の主人公3人は、マリア・テレジアとフランツ・ヨーゼフ、その妻のエリザベート(シシー)。当然ここはハプスブルグ家の宮殿の一つで、マリア・テレジアの娘のマリー・アントワネットも15歳でルイ16世に嫁ぐまでここに夏の宮殿として過ごしたアントワネットが幼少の頃に過ごした部屋や5歳のモーツァルトが演奏した部屋など見所が多い。あのウィーン会議があったのもここで”会議は踊る”といわれたのがこの宮殿。ヨーゼフは5時に起きて冷水で顔を洗い、質素な生活をしていたとか。エリザベスはダイエットに夢中だったとかなかなか面白い解説が多い。厳格な生活を心がけていたヨーゼフは食事が早く家来はまともに食する間もなく席を立たないと行けなかった。(家来は王の食事が終わるとそこで夕食は終わり)そのため彼らは晩餐のすぐ後に近くのレストランへ再度夕食を取りに行くことが多かったらしい。シシーの場合はもっと早くダイエットに夢中だったため少し箸をつけた(ナイフとフォークをつける?)らすぐに自分の部屋に帰ったとか。このシシーという人は特にきれいな女王で故ダイアナ妃とよく比べられていた。その後庭内をまた歩く。馬車博物館の馬車は極端に豪華で保存状態もよく展示の仕方もよかったので映えて見えた。霊柩馬車まであって、黒の漆塗りで他にも絵が描かれている物などそれぞれまさに宮殿にふさわしい。宮殿から見て右に動物園、左に噴水ローマの遺跡等があったけど修理中の物があって残念。その後は148.シューベルト記念館(3)(Schubert-Sterbezimmer)へ。地下鉄を降りて小さい通りを入った左手。とても小さくあれだけ有名な音楽家もこんな所で臨終を迎えたのかと驚く。この地下鉄を出ると149.マジョリカ・ハウス(3)(Majolikahaus)が見える。建物自体は他の物とあまり変わらないけど壁に書かれた花がとても華やか。西駅に戻った後はユースホテルを探したけどなかったので、紹介されたガストハウス(安い民間の宿)へ泊まる事に。荷物を降ろした後は市内散歩。まず中駅へ言った後は市立公園で楽聖の銅像を見る。その中でもヨハン・シュトラウスの物は別格で在命中は裕福でない音楽家が多い中でも彼は別格だったみたい。この公園の真ん中に池があってなかなかいい雰囲気。ドォナウ運河は完全にセメントで固められていて水はほとんど流れていなかった。そこから少し南へ行くとベートーベン像シュベルツエンベルグ宮殿の前の噴水を見る。芸術的。アカデミー劇場などを見ながらリンクと呼ばれる市電が走っている環状道路に添って歩くと、左手に巨大な教会、150.カールス教会(4)(Kariskirche)。近くによると2本の柱があって、ら旋上に時代絵巻きが描かれたいた。中がまたすごくて十字架の形をしたステンドグラスが多くてそれぞれきれいだった。カールス広場にはいろいろなオブジェがあるので歩きながら見ると面白い。教会の横にある工科大学もこれが大学かと思うような建物で古かった。そこからレッセル公園を抜けて151.カールス・プラッツ駅(4)(Karlsplatz)へ。この駅は地下鉄があるけど、建物自体は駅としては使われていなくて、カフェになっている。2つの建物が対になっていてどちらも小さいものだけど描かれている絵がきれいで曲線がアール・ヌーヴォしていた。ブラームス像は駅からすぐ。152.カフェ・ムゼウム(2)(Café Museum)は博物館みたいだったけどそれほど変わった建物でもなく、ちょっと雰囲気のいいカフェだった。アドルフ・ロースの設計とか。エスプレッソを飲みながら葉書を数枚書いた後は国立オペラ劇場へ。すっかり日が落ちてライトアップされた劇場は周りの建物と比べても一層古く歴史がありそう。音楽の都のオペラ劇場。威厳があって歴史が古そう。ここだけ数百年歴史をさかのぼった感じ。ゲーテ像モーツァルト像があるブルク公園へ。モーツァルト像の前には花壇があってへ長調の形にきれいに手入れしてあった。アルベルティーナ広場は近くの王宮の建物の古さと広場にあるオブジェが対照的。聖シュテファン大寺院はまた来るのでちらっと見た後にハースハウスを見る。この建物はデザインが独特で窓が多く使われている。近代的。近代建築と古い建物が微妙にマッチしているのがウィーン。ペスト記念塔はきらきらに光っていてかなり印象的。下の方にもがき苦しんでいる人がいて上へ向かって手を伸ばしている。塔の上には女神が立っていた。ロース館は何も特徴がない建物でびっくり。近くの王宮は存在感がありすぎでそこだけ歴史が完全に違う。ライトアップされていて町中がきれいだった。国会議事堂を抜けて市庁舎へ向かうと夕食の時間で屋台がいっぱいあった。市庁舎に大スクリーンがかけてあって野外オペラを楽しんで今日の観光終了。地下鉄で宿に戻ってシャワーを浴びる。ハイドンの家が見つからなかったのが残念。ハイドン通りにあるけどその通りを誰も知らない。現地の人に聞きながら西へ東へ、北へ南へ歩き回ったけど結局時間切れ。宿で地図を調べるとかなりいりくんだ場所みたい。後で地図を頼りに言ってみると最後の通りを曲がった所でハイドンの家の表示。そんな所にあっても分からないし意味ねーよ!寝よう。

147.シェーンブルン宮殿

147.Vol2

147.Vol3 147.Vol4

150.カールス教会

151.カールス・プラッツ駅

 8月26日 快適 ユース

153.郵便貯金局

154.聖シュテファン大寺院

154.Vol2

ハースハウス

ハースハウスVol2

 

朝はなかなか起きれず9時半出発。どうもベットが柔らかいし、あったかすぎて出られなかった。今までのユースと比べて快適すぎたかも。シュヴェーデン橋を見てから東へ向かってユーリウスラープ広場へ。ここからウラニア・ホールは川に落ちそうなほど岸に近くきれい。近くにある153.郵便貯金局(3)(Postsparkasse)は鉄とコンクリートのみしか外見からは見えずそれでも近代建築のデザインが斬新だった。壁には均等に鉄の杭みたいな物が打ち付けてあって、屋上には天使らしき像が2つ並んでいた。そこからは反対側に官庁も見える。これもどーんとどっしり立っていて屋根がクリーム色で重みがある。何とも対照的でヨーロッパの古い建物。その後は昨日行った154.聖シュテファン大寺院(5)(St.Stephansdom)へ。ウィーンのシンボルで、13世紀の後半から300年の長い歳月をかけて立てられたオーストリア最大のゴシック教会。鐘楼が2つ立っていて、頂まで137m、寺院の塔では世界3番目の高さとか。343段の階段で73mの所まで登れた。さすがにここらへんは人通りが多かった。中に入るとその装飾にびっくり。屋根はシンプルな教会がこれまで多かったけど、ここの屋根はうろこ状の瓦になっていて面白い形。北の塔にはエレベーターで上がれるけどウィーンの北の景色しか見えず北の景色はそれほどいい物ではない。時間の関係でいったん155.フィガロハウス(4)(Mozart Erinnerungsräume im "Figaro-Haus")へ。ウィーン市内にもモーツァルトゆかりの家が幾つかあるけど空いている場所は少ない。ここは名前の通り”フィガロの結婚”を作曲した所で楽譜や肖像画などが置いてあった。ザルツブルクでモーツァルトには少し触れたので分かりやすかった。シュテファン大寺院の南の塔へ。階段で上まで上がるとウィーンの街が一望できる。王宮を中心のリンク(環状道路)沿いに建つ歴史ある建物がすべて見えてここまで上がってきた疲れを吹き飛ばしてくれる。昨日行ったカールス教会はここから見てもそれなりに大きい。アルベルティーナ美術館へ行ってみたけど改装工事中なのか移転していた。巨大な王宮・ホーフブルクを早めに見ておきたいと思ったので王宮内の小さな教会へ。小さかったけれど教会らしく観光地化していなかったのがよかった。どうやら王宮はメインの入口といった物がなく建物が幾つかに分けられていて、それぞれが美術館等に使用されているみたい。次にハプスブルグ家が所有していた銀食器等を展示してある156.銀食器博物館(4)(Kaiserappart. & Silberkammer)へ。総てが金か銀か宝石。スプーンや食器はピカピカに磨かれてきれいにならべられていた。今までで一番高かそうと思ったし質・量共に圧倒された。こんな物でよく食事が食えるなと思ったけど昔の王様の話。目がちかちかしそう。フランツ・ヨーゼフとエリザベートが住んでいた部屋も見学することができてショーンブルン宮殿と同様に豪華というよりがある。また逆に質素にも見えてしまう。(ヴェルサイユと比べると)ここでもエリザベートがきれいだったことがよく分かる。彼女の彫刻や肖像などが飾られているけど理想的なお后といった感じ。王の部屋にエリザベートの肖像がかかっていたのが印象的。エリザベートがドイツ(ドイツ自体存在していなかった時代)から嫁いできて、ヨーゼフに溺愛されたものの、宮廷の生活に嫌気がさして別荘に住んでいたりと彼女の人生は現代の女性像によく似ていて面白い話が多い。(本を買おう!)ただきれいなだけで国民に愛されているわけではないみたい。入口はスペイン馬術学校の近く。馬術学校自体は閉まっていた。157.ウィーン美術史博物館・新王宮(2)(Kunsthistorisches Museum)、自然史博物館、ブルク門、美術史博物館等を見ながらマリア・テレジア広場へ。ここにはテレジアの像がどんと立っていた。ここから北へ向かって、国会議事堂、市庁舎、ウィーン大学などをぶらぶら歩きながら見て今日の観光終了。どうも朝早く起きれなかったので効率よく回れない。情けない。

 

 8月27日 ちょいさぶ ユース

 

 

この日は朝から美術館の日と決定。158.ハイドン記念館(3)(Haydn Museum)にはブラームスの展示室もあった。ウィーンには楽聖たちの記念館が多く展示の仕方や内容はよく似ている。必ずピアノの形をしたテーブルがあって、ヘッドフォンで10曲程度のクラシックを聞くことができるようになっているので休憩代りに聞いていると疲れも取れる?観光客も思ったよりいない。最初に分離派展示館へ行く途中に159.アルベルティーナ美術館(4)(Albertina)を発見。160.分離派展示館(4)(Secession)から161.ウィーン美術史博物館(4)(Kunsthistorisches Museum)、最後に162.オーストリア応用美術館(5)(Österreichische Museum Für angewandte Kunst)へ。あまりここで書く事はないけど(リンク先を見て)充実した一日でした。ウィーンの美術館の展示の仕方も見たいと思わせるように工夫してあるし、宮殿などの中にあって建物自体も豪華で見ごたえがある。館内の整備も行届いていて、ゆっくり美術にひたれる状態を作り出している。(スペインなどは小学校の教室に絵がかけてあるようなもの)ウィーンの美術はパリよりも面白いかも。現代美術していても楽しめる物が多いし、町中にオブジェがころころいっぱいある。パリやロンドンとかとは全く違う。印象派だけではないぞと言わせる現代の美術がここにはあります。音楽の都だけでなく芸術の都ウィーンと呼ばれてもおかしくない町。街自体をきれいに保つことがこれほどいい雰囲気をもたらすとは。パリとロンドンの人たちよ、ゴミを捨てるな!!

ヴォティーフ協会

Vol2

165.エロイカハウス

ジャガー

169.フンダートヴァッサー・ハウス 

169.Vol2

169.Vol3 169.Vol4

169.Vol5

171.国立ギャラリー

 

 8月28日 快適 夜行

 

今日は楽聖を訪ねる日。まず、163.パスクァラーティハウス(3)(Pasqualatihaus)へ。ベートーベンのピアノ、毛髪、遺書等の展示がある。ここから少し北に向かうとヴォティーフ教会があるのでしっかり見よう。トラムの乗り場が地下にあって、そこから見るとより映える。そこからトラムNo.37で164.シューベルトの生家(3)(Schubert Museum)へ。特にそれほど特徴はなかったけどピアノのテーブルの前に座って30分ほどCDを聞く。165.エロイカハウス(4)(Eroica-Haus)ベートーベンがナポレオンのために”英雄交響曲”を書いた場所。またトラムに乗って166.ハイリンゲンシュタット(4)(Heiligenstadt)へ。ベートーベンが”ハイリンゲンシュタットの遺書”を書いた場所で、この頃には彼はすでに狂っていた?ベートーベンの住んだ家が数件あるこのハイリンゲンシュタットはしっとりしていて静かな村。近くには”田園”の構想を練った散歩道167. (3)(Beethovengang)があった。片側は森林でもう一方は住宅街。すべて見ようとすると半日はかかってしまう。ベートーベンが住んでいたという印があったり、銅像がぽつんと建っていたりする。ここから中心地に帰るのに一苦労。トラムを見てもどこへ行くのか分からないのでとりあえず乗って地下鉄のサインがあったので何とか帰れた。帰った後は168.近代美術館(5)(Museum Moderner Kunst)へ行って衝撃的な169.フンダートヴァッサー・ハウス(4)(Hundertwasser Haus)へ。ガウディに通じるような彼の建築で要は市営住宅です。ただ長方形などといった機械的な線はなく、総てが曲がっていたり歪んでいたりで、地面すら凸凹に曲がっていた。そこからは170.クンスト・ハウス・ウィーン(5)(Kunst Haus Wien)へ。彼はまさに芸術家といった生活をしていて、日本人女性とも結婚している。ヴェネツィアの島を買い取ったり、田舎で電気も通っていない所で生活したり。本を買ってみよう。””が好きな芸術家です。171.国立ギャラリー(4)(Österreichische Galerie)へ行った後は172.中央墓地(4)(Zentralfriedhof)へ。ここがウィーンの最後の観光地で予想と違って明るい感じ。最初に並木道がまっすぐ中央のカール・ルエガー教会まで並んでいた。公園の中に墓石があるような所。とにかくでかくて美術館にあるような芸術的な墓石がごろごろしていた。楽聖の墓石もあってベーテーベンからシューベルト、モーツァルトなどすぐに見つかるはず。シュトラウスの墓は子供の物まで埋葬されていてやはりお金持ちだったのか。カール教会がいい雰囲気を出していて工事中だったために中には誰もいない。階段を上って窓から工事用の枠組みの上に上ると墓地が見渡せた。映画にも使われた場所で”アマデウス”や”第三の男”などに登場している。それからドイツ、ミューヘンへ出発。4日間滞在したウィーンだったけどまた来たいと思わせられる魅力的な町。この日の夜はぐっすり列車の中で寝てしまった。

 

 ウィーン → ミューヘン

162.オーストリア応用美術館

172.中央墓地

 

 オーストリア人とは?

 

ハプスブルク家は、戦争でなく政略結婚によって領土を広げる基本ポリシーで「太陽の没することがない帝国」を作り上げた。13世紀から今世紀の初頭までの約700年間に渡って、ほぼヨーロッパ全域の政治や文化に、ハプスブルク家ほど深く関わった王朝はない。ハプスブルク家の人々で比較的知られているのは、16人の子供を産んだ女帝マリア・テレジアやその末娘で「ベルサイユのバラ」で有名なマリー・アントワネット、ハプスブルク家の美女ナンバー・ワンのエリザベート(フランツ・ヨーゼフの皇后)など、情勢の方が人気が高い。芸術を保護するのは王家の役目であったから、天才モーツァルトをはじめ、ハイドン、ベートーベン、シューベルト、そしてワルツ王ヨハン・シュトラウスがきら星のように現れ、19世紀末になると絵画でクリムトやエゴン・シーレなど退廃的な文化が花咲いた。同時にスイスよりも素朴で俗化されていないアルプスがある。ドイツ語圏の国の一つらしく町並みは非常にきれいで店のディスプレーなども個性がある物が多い。英語の習得度も結構高くて誰と喋っても最低なんとか自分の言いたい事は伝わる。国が小さなせいか(北海道より少し広いぐらい)どこに行ってもハプスブルク家の影響が色濃く残っている。みんなファッションセンスがよくてさっそうと街中を歩いている。そのくせフランス人のように鼻に付く人がいなくて適度のやさしく、居心地がいい所。食べ物はドイツ語圏らしくソーセージが多くそれほど美味しくはない。国中に音楽に関する観光地が多く、音楽が芸術として国中に染み込んでいるような雰囲気でそれがまたオーストラリアらしかったし、これがオーストラリアかと思った。思った以上に芸術が町中にあふれていて、パリにはない新しい風が町中に吹き込んでいる感じ。現代の作品が特に多くそれも斬新で印象的なものばかり。受け入れやすくシンプルで人間らしい。過去の歴史に強くひかれている感があるイタリアや、しがみついているイギリス、恩恵を受けているフランスとは違って、今まさに芸術が生み出されているという感じでまた行きたい美術館や記憶に残る物ばかりで大満足。音楽にもぜひ触れてみたかったけど貧乏旅行中で正装もなく断念。ヨーロッパの中でも思ったよりお勧めの国。

ドイツ

 8月29日 寒い ユース

 

ミューヘン

朝早くミューヘンへ到着。ドイツは大きな国で回る都市が山ほどある。ガイドブックを見ても他の国とは紹介されている都市の数が違う。1日2都市ずつ位回れば何とかなると思って荷物を置いた後早速アウクスブルグへ出発。

 

 ミューヘン → アウクスブルク

 

アウクスブルク

アウクスブルク? ロマンティック街道最大の都市。古い鐘楼や教会の目立つ中世都市と、近代的な商業都市の二つの顔を持った町。

着くいたのは9時半前。さっそく市内を歩き始める。最初に行ったのは大聖堂で大と付くからには大きいのかと思ったけどそれ程でも。ここのドアが少し変わっていたけど、入った時はミサの最中だったので173.モーツァルト博物館(3)(Mozarthaus)へ。ここは小さいので分かりにくいけど1〜3階まであってオーストリアのようにじっくり聞ける所でなかったのが残念。2階に行くとカセットテープでクラシックを流してくれた。ヴェネツイアの地図があったりして(古い)少し懐かしかった。174.大聖堂(2)(Dom)に再度行ったけど中はそれほどでも。中はきれいに掃除してあって中心に祭壇がある。そこを中心にぐるっと回って終了。つまらない。そこから175.市庁舎(2)(Rathaus)に行ったけど3階の”黄金の間”には行けなかった。1階部分はどこかのガイドを盗み聞きするに、修理しているとかで目立った物はなし。マルクト広場の近くにある建物の1つはきれいに絵が書いてあって面白かった。そこからマクシミリアン通りを通って176.聖ウルリヒ・アフラ教会(3)(St.Ulrich und afra Kirche)へ。ここは大聖堂より大きいように見えた。中央はすべて祈るための席が並んでいて先頭に祭壇があった。ここの方が外見もきれいで内部も明るいマクシミリアン通りの屋根を教会の方から見ると最上階部分に付いている小部屋の屋根がいろいろな形をしていてかわいかった。建物自体丸みを帯びている物や、お城をイメージした物、教会をイメージした物などあって古いデザインを守っているのかも。教会であった日本人がまた面白かった。ドイツに住んで保育の勉強をしているらしいけどその前にドイツ語の勉強が先とか(ヨーロッパ語の中でも複雑な語形変化を持つ語)。ヨーロッパの子供は宗教画に出てくる天使のようにかわいいけど、保育園の子供が”煙草をくれ”と言ったのにはかなりショックだったらしい。ドイツは失業者が多くそのため家庭環境に恵まれない子供が多いとか。これから日本もそうなって行くのか?そこから177.アーツギャラリー(1)(Arts Galleria)へ行った後は、時間がなかったので小走りで駅へ向かう。最後は自然と走っていた。この街は市庁舎を中心に南北に見所がそろっているので歩きやすいと思う。モーツァルト博物館から聖ウルリヒ・アフラ教会まで歩いても30分程。静かで穏やかでなにかゆっくり時間が流れているような小さな街。フッゲライと呼ばれる貧しい人のための社会施設にも行きたかったけど、それほどたいした物でもないだろうと思って列車に乗った。2両編成でここから2時間ほどでフュッセンへ。

街並み

Vol2

どこの車?

 

 アウクスブルク → フュッセン

 

フュッセン

フュッセン? ノイシュヴァンシュタイン城で有名なフュッセンはロマンティック街道の南の終点。城壁に囲まれた中世都市から無縁の町で、森と湖の山岳地帯。

街自体には特に何もない。フュッセンの見所は何といってもノイシュヴァンシュタイン城。プラットホームも3つほどしかなくかなり田舎町。そこから駅を出てすぐ右にあるバス停で20分程バスを待って城へ。途中に川が見えてくるけど例外にもれず水の色は灰色(雪解け水)。それと周りの木々の緑が溶け合ってとてもきれい。20分前後で城の下の駐車場まで。そこからは4本ぐらいの道が城まで伸びていて自分は一番険しく最短の物を選択。時間の関係で近くのホーエンシュヴァンガウ城も見れそうだったので。初めはきれいな山道だったけど、途中からアスファルトで舗装されて馬の糞だらけの道に出る。これがまた臭い178.ノイシュヴァンシュタイン城(5)(Schloß Neuschwanstein)にぶつかると左が入口、右の参道がマリエン橋への小道。このお城は近くからより遠くからの方がきれい。アランフェス(スペイン)の城は外見のみだったけど、ここは中もそれなりに見ごたえがあった。入ってすぐに5カ国後位のガイドツアーがあってやはりドイツ語と英語の列が極端に長かった。日本語も一応あって、ここには日本人もよく来るみたい。誰も並んでいなかったので英語の列へ。こういう時だけは日本人の観光客が恋しくなる(失礼)。英語の列はすぐに動き出した。内部でまた待つ事になったけど大した時間ではなかった。この城自体かなり新しい物なのできれいで木がふんだんに使ってあり、とても暖かい。新白鳥城と言う意味のこの城はかつてのバイエルン国王、ルートヴィヒU世が17年の歳月と巨額の費用をかけて作った夢の城で、中世の童話に出てくるようなファンタジックな姿が最大の売り。ウォルト・ディズニーがシンデレラの城を作る時のモデルにしたとか。1869〜1886年にかけて作られたこの城も実際ルートヴィヒ2世が滞在したのは180日前後とか。(病死)なんとも皮肉な話。その後にすぐに市民に開放されて現代へ。豪華なのには違いがなく宝石類はふんだんに見学できる。途中向かいの山に滝が見えて来る。滝の上にかかっているのがマリエン橋で、後で行く事に。こちらから見る滝もきれいだけど、向うから見る城の方が信じられないほどきれい。最上階には大きなホールがあって隅々まできれいに細工が施してあった。そこからは台所へ下りて終了。この英語のガイドがあまりよくなかった。かなりドイツ語なまりの英語で説明してくれるのはいいけど、ガイドの仕方があまりにも機械的。冗談の一つも言わず、まるでカセットテープを聞いているよう。最後の拍手の数が少なかったのも納得。城から出た後は小道を進んで15分程で179.マリエルン橋(5)(Marienbrücke)へ。看板があるのですぐに分かる。この橋から見える城はまさにディズニーに出てきそうな理想的なお城で今までで一番きれいなお城だったのは確か。周りが自然に囲まれていて滝には灰色の雪解け水ではなく透明な清流が流れていた。そこから馬糞道の上を歩いて真っすぐ道なりに歩くとホテルや売店へぶつかる。そこから180.ホーエンシュヴァンガウ城(4)(Hohenschwangau)までは数分。この黄色い城はさっきの物に比べるとパワーがないけど内部の宝石等は”されど”お城です。細かい細工が施されたディナー用の食器類などから勲章等、高そう。ロシアから送られたパンが百数十年もたった今も展示されていた。残念ながら最後のツアーに参加したのでガイドがドイツ語で理由は分からなかった。城を出て裏手から参道を降りて行くとバラ小屋があった。湖の上に立っている小山まで降りて一服した後はミューヘンに帰える時間。フュッセンには大満足。お勧めの小さな町。

178.ノイシュヴァンシュタイン城

178.Vol2

179.マリエルン橋

180.ホーエンシュヴァンガウ城

180.Vol2

湖面

 

 フュッセン → ミューヘン

ミューヘン

9時頃にミューヘンへ到着。ユースに電話しても留守電。夜行でどこか行けないかと思って時刻表を調べてみるけどなかなか見つからない。もう一度電話すると泊まれるとかで、すぐに行ってシャワーを浴びてコインランドリーへ。1時頃に終わって洗濯物を取り出してみても乾いていない。仕方なくぬれたパンツをはいて寝る。今日は疲れた。

 

 8月30日 快適 夜行

イーザル門

182.聖ペーター教会

182.Vol3

182.屋上からの景色

183.アルテ・ピナコテーク

184.ノイエ・ピナコテーク

 

ミューヘン? 1158年ハインリヒ獅子公が建設。1806年バイエルン王国の首都になった。第一次世界大戦後は革命運動の中心地となり、ナチス運動の発祥地ともなった。20以上の博物館、美術館がある。

8時頃に駅に着いたので荷物を置いてカールス広場へ。そこから裁判所、カンドリンガー門へ。門とは言っても門らしい物は全くなかった。このところ歩きっぱなしだけどミューヘンも地下鉄があるけど歩いた方が町の様子が見えて観光らしい。イーザル門は門というかなんというか。中には美術館が入っている程のちょっとした大きさの建物。そこからルートヴィヒ橋を渡って公園へ。このイーザル川は都会にありながらかなりきれい。川の両側には緑が街中以上に多く町の風景に溶け込んでいたので自然とシャッターを押す。マキシリアノイムはちょっとした会議場の様子で国連に関係ありそうなポスターが張ってあった。壁にはモザイクでキリスト等が描かれていてとてもきれい。平和の天使像を見た後は橋を渡って向かいの公園へ。かなり広い公園で芝生と木々以外にはくつろいでいる人達しかいない。それぞれが自分の庭のように時間を過ごしていた。チャイニーズ・タワーはかなりドイツ風に作られている。アジアの文化もヨーロッパに入るとこんなになるのかとおかしった。ヨーロッパの城には中国式の部屋が設けられている所が多いけどなんとも品のない、いやらしいセンスのものばかり。金ぴかにすればいいぐらいに思っているヨーロッパのセンスだけは理解できない。日本式の部屋も幾つかあったけど漆塗りの板までは日本式で納得できたけど、それに金のレリーフが付いていたりするとあの美しさがヨーロッパ人には地味としか受け要られないのかと笑ってしまう。そんな事はどうでもよくて、公園内のモノプテロスへ。ギリシャ風の丸いドームが小高い丘の上にちょこっと立っていた。公園を抜けてマキシミリアン大学へ出ると大通りに大きな門があった。ドイツの公園は整備が行届いていて魅せる力がある。181.レジデンツ(3)(Residenz)は幾つか小さな美術館があったけどメインはやはり宝石と宮殿内の見学。宝石の博物館は金にダイヤモンドなどの宝石がくっつけてあるような物で豪華さに言葉もない。象牙や大理石で作られた物がかわいそうなほど。宮殿内は悪趣味とも言えるほどきれいだったけど小さな中庭に女性の上半身が貝で作ってあった装飾だけはいただけなく、気持ち悪かった。見学コースが結構長いので自分のペースで。新市庁舎は外見だけで言うとぜんぜんレジデンツよりいい。みんなこの辺りでのんびり、ぶらぶらしていた。182.聖ペーター教会(4)(Peterkirche)の頂上からの眺めはなかなかグッド。新市庁舎やレジデンツなどがきれいに見えた。その後は美術館巡り。183.アルテ・ピナコテーク(4)(Alte Pinacothek)184.ノイエ・ピナコテーク(5)(Neue Pinacothek)、最後に185.レンバッハ市立美術館(5)(Städtische Galerie im Lenbachhaus)。よく歩いた一日も終わってこれからはベルリンへ。ミューヘンの3つの美術館には感激。それぞれが特徴を持っていて、オルセー美術館(パリ。この美術館は誰にでも推薦できる)とは違うよさがあって、古典から近代、現代と見ごたえのある作品が見れた。

 

 ミューヘン → フルダ → ベルリン・ツォー駅

ベルリン

 8月31日 かなり寒い ユース

186.ニコライ教会

町中の風景 Vol2

187.サンスーシ宮殿

187.Vol2

風車 Vol2

オランジュリー宮殿

189.ツェツィーリエンホフ宮殿

189.Vol2 189.Vol3

189.Vol4 189.Vol5

189.Vol6 189.Vol7

189.Vol8 189.Vol9

ジャガー

 

かなり朝早くベルリンについて少し考えてポツダムに行く事に。

 

 ベルリン・ツォー駅 → ポツダム

ポツダム

ポツダム? 英・米・ソによって第二次世界大戦の戦後処理が話し合われた地で1945年8月14日に日本が前面受諾した”ポツダム宣言”は静かな湖岸にあるツェツィーリエンホフ宮殿で採択われた。(15日ではない!)

着いて少し歩いただけでこれまで歩いた旧西ドイツの都市とはかなり雰囲気が違う。駅自体工事中。186.ニコライ教会(2)(Nikolaikirche)はほぼ正四角形の形をしていてちょっとしたお城のよう。午後からしか入れないということですぐに歩き始める。街の雰囲気はイメージがあるためか少し古く使い古した感じ。町の中にあったNewener Torは小さな塔でポツリとさびしく立っていた。この街のメインは187.サンスーシ宮殿(2)(Schloß Sanssouci)着いて気付いたのはこの日が月曜日で、月曜は宮殿が開いていないということ。一つ以外閉まっていて仕方なくその一つを見に行く。外見だけでも楽しもうと思っていたけど、この宮殿は庭が大きすぎる。外から見たサンスーシ宮殿は庭にブドウの木が植えられていて宮殿までに段々になっている庭がある。くつろぎの館という意味とか。オランジュリー宮殿の横を抜けて188.新王宮(2)(Neues Palais)へ。庭には緑がふんだんにあってこれだけの物を維持するだけで大変そう。途中にある風車がいい雰囲気を出していた。新宮殿は質素で印象が悪い。照明や展示物などがすべて古びていて見ようという気がしない。入口では靴ごとおおう大きなスリッパ(中国の故宮などであったようなもの。なぜ共産主義国は同じ事をするのか?すでに東ドイツではなくなったけど)を履かされる。ドイツ語の解説があったけどなにがなんだか分からない。15分程で終わり。新宮殿から伸びるまっすぐな道。かなり長くてこれを歩いて帰るのかと思うと憂鬱だった。左右に少し見所があって、中国茶屋を見た。これまたヨーロッパ式に変えてあって笑ってしまう。平和の教会の回廊を抜けるとやっと宮殿の外に出られた。そこからはもう一つの189.ツェツィーリエンホフ宮殿(5)(Cecilienhof Schloß)へ。バスで行ったけど、静かな住宅街を進んで行ってバスは止まり普通の団地にぽとりと落とされた感じ。進行方向に10〜15分程歩くと入口がある。ここはノイシュヴァンシュタイン城とは違った美しさを持つ城で品があった。あまり言いたくないけどめちゃくちゃ気にいった。必ず帰ってくると誓うほどの場所。お城というよりも別荘という感じで小さな庭にはきれいな花が植えられていた。庭から見る湖、てんてんとする他の建物などカップルで来ると最高なのは保証できる。城の中にはホテルが入っていて、昼にチェックインしてゆっくり庭を歩き、紅茶でも飲んでゆっくりして...一日はつぶしてもいいような日本人向けのお城かも。観光地とはあまり言えないので少し時間を作れば、優雅な時間を過ごせることうけあいです。サンスーシ宮殿のことなど頭からカラッと消えてしまった。朝は重くどんより曇っていたのがここに着く頃には青空が見え来たのも来てよかったと思わせたかも。これからは本来のベルリンの観光へ。

 

 ポツダム → ベルリン・ツォー駅

ベルリン

ベルリン? それ以前にプロイセン王国、ドイツ帝国、ワイマール共和国、ナチス・ドイツの首都だったベルリン。ベルリンの壁は1961年8月13日、東ドイツの労働力流出防止と、国内政治経済の安定を図るために一夜にして築かれた。全長40Km。以降28年間、壁は東西のベルリンを隔ててきた。その後1989年11月の壁の廃止から90年7月の東西通貨の統一、そして90年10月3日、45年間の分断から統一国家へとドイツは変遷した。その過程で西ドイツの首都はベンへ急遽移って、今ベルリンが再びドイツの首都として機能し始めている。(1999年に正式に首都がボンから遷都する)

まずツォー駅から降りて目に入ったものはカイザー・ヴィルヘルム記念教会でなく、浮浪者どこに行ってもいて、手には煙草とビール。よく騒ぎを起こしていた。他の国のようにじっとお金をねだっているわけではない。駅の周りには警察が多く、実際他の浮浪者に電話機にぶつけられて倒れていた浮浪者もいた。倒れたまま全く動かない。頭から血が出ていたけど大丈夫なのだったのだろうか?それはさて置き、190.カイザー・ヴィルヘルム記念教会(4)(Kaiser Wilhelm)へ。駅のプラットホームからも見えていたけど、すぐになにか普通と違うのが分かる。崩れている。壊れている。戦争の悲惨な体験を忘れないように第二次世界大戦で破壊された状態をそのまま保存している。すごく斬新で一番分かりやすい表現方法かも。内部は簡単な博物館になっていた。すぐ横には新しい教会があって近代的な外見の中にはそれほど大きくはないけれど教会があった。中はステンドグラスが青いので真っ青。中央の祭壇は質素でキリスト像も現代的なオブジェのようだった。その後S−Bahn(近郊列車)で191.ベルヴュー城(2)(Schloß Bellevue)へ。ここは大統領官邸で当然中には入れなかった。特にこれといったものはなかったけど小さな宮殿で警備はそれほどきびしそうでもなかった。ベルリンで有名な観光地の一つが192.戦勝記念塔(4)(Siegessäule)1864年にデンマークに、1866年にオーストリアに、そして1871年にフランスに勝利した記念に立てられた。塔の上に立つ天使像が金ぴかでまぶしい。下の方はモザイク画が描かれていた。ここはぞくに言うラウンドリー(パリの凱旋門みたいな所)でくれぐれも道路を横切ったりしないように。凱旋門と同じく地下道が掘られているので。塔の上までは我が足でしか上がれません。ら旋上にぐるぐる回って行くと土台の所で降りられる。そこからもっと上って行くと頂上の展望台へ。ここはティアガルテン(ティア・ガーデン、大きな公園)のど真ん中にあるけど周りには、はっきり言って何もない。そこから東に伸びる6月17日通り(1953年のこの日に起きた東ドイツの暴動に由来する)の先にはブランデンブルグ門がある。その少し左にはテレビ塔がニョキっと立っている。反対側は同じ通りで、まっすぐ道が地平線まで伸びている(よく作った)。ここから見るベルリンの街はクレーンが多い。市内のあちらこちらで建築ブームが起こっていて、首都として機能できる状況を作り出そうとしている。いたる所が掘り返され、崩され、機械の音で満ち溢れている町。S-Bahnに乗ってもその様子がよく分かる。市内を見渡した後はブランデンブルグ門へ向かって歩き始める。その途中、左側にソ連の国旗が掘られた彫刻とモニュメント。目立たないけどロシア風の兵士が一人警備に当たっていた。193.ブランデンブルグ門(4)(Brandenburger Tor)はそれほど印象が強いわけではなかった。凱旋門と比べて少し拍子抜けで重みがない。1788〜91年にかけて立てられた凱旋門で以前はここに近づく事すらできなかったとか。近くの旧帝国議会はかなり近代的。工事中だったけど建物の上部にはガラスで作られたドームがのっかっていた。日本やアメリカの国会議事堂よりも近代的だけど重厚で議事堂らしい。当然ここが将来ドイツの国会として使われる予定。これで今日の観光は一応終了。ユースへ帰ってから(ユースのチェックインはこの日にベルリンに着いた時に済ませておいた)一息いれる。5階まで上らないと行けないのにエレベーターが壊れていて前後に荷物を抱えて階段を上がる。ここのユースはかなり大きかったけど運悪く60人ほどの団体(高校の修学旅行っぽい)にぶつかって夜はドンちゃん騒ぎ。シャワーを浴びている時に覗こうとする女ども。やってることは日本人と一緒じゃねーか!!(怒ってません)ただ誰かの誕生日だったらしくケーキをもってバースデェイ・ソングを歌いながら十数人が隣の部屋に入って行くのを見るとなんだかほっとするような和やかな感じだった。ここでロンドンから来たイギリス人と3時間ほど話す。結構気さくな人で紳士的。やはりこういうイギリス人がいるのもイギリスらしい。その後は194.壁博物館(5)(Haus am Checkpoint Charlie)へ。夜10時まで開いているのでぜひ行ってほしい。夜はぐっすり寝て明日は残ったベルリンの観光地を歩く予定。

190.カイザー・ヴィルヘルム記念教会

192.戦勝記念塔

192.Vol2 192.Vol2

192.Vol2

193.ブランデンブルグ門

 

 9月1日 快適 夜行

 

202.テレビ塔

朝起きて顔を洗いに洗面所に行くとすでに騒がしい高校生達。とうとう9月になってしまった。朝食は取れなかったけど、エレベーターが動いていたのでいいことがあるかも。まずは博物館の島と呼ばれるベルリンの東へ。9時開館となっていたのが10時となっていたのでサンドイッチを作って食べる。195.ボーデ美術館(1)(Bode Museum)196.ペルガモン美術館(3)(Pergamon Museum)と回った後は国立博物館へ。ここは工事中で閉まっていた。作品は197.旧博物館(3)(Altes Museum)へ映っているとか。この美術館の島と呼ばれる所は完全に島となっているわけではないけど地図上は島のように川が両側を流れている。とても雰囲気がよくて建物も古い。近くにある198.大聖堂(4)(Berliner Dom)はかなりすごい。大がつくだけあって大きく古そうだった。中には地下にお墓があり、石棺が置いてあった。ドームの上にも上がれて協会内が見える所までと、外の景色が見える頂上まで自分の足で歩こう。途中のちょっとした博物館があって大聖堂の歴史が展示されている。上に上がる人はあまりいないみたいで一人占めできる。上から見る博物館の島もまたきれい。あれほど大きかった戦勝記念塔やブランデンブルグ門もここから見ると模型のよう。ぜひ上ってほしいところ。その後は199.森鴎外記念館(3)(Mori-Ogai-Gedenkstätte)で日本の空気を吸う。ここに来るには少し複雑なので分かり難い。建物はやはりドイツ式だけど障子や掛け軸が置いてあってそれぞれが変にマッチしていた。部屋の一つは自由に閲覧できる日本の新聞やニュースダイジェストなどの雑誌が置いてあった。日本が恋しくなったらぜひここへ。開館が2時までなので日程的にはきついかもしれないけど電話してみよう。日本語がぺらぺらな館長が電話に出て開いているか教えてくれる。自分も着いたのは3時前。3時半まで用事があるから来ていいとか。それも無料。帰りに新聞を3部ほどもらって帰える。ここまで新聞どころかテレビも見ていないので日本の事だけでなく世界中でなにが起こっているのかすら知らない。この新聞、後で時間潰しにとても役に立った。2週間ほど前の物をもらった。(8月15,16,17日)ちょうど終戦記念日の次の日の物でドイツの事も書かれていた。やはり新聞はいい。北アイルランドのテロについても詳しく書かれていたので面白かった。イタリアで友達から聞いてはいたけど北アイルランドで起こったとは知らなかった。(北アイルランドとアイルランド共和国は違う国です)自分のホストファミリーがアイルランド人だったので心配していたけど。日本の政治も大変そう見たい。ロシアの株価が下落したとか...これからも当分は日本もキツイな。クリントンさんの事も書かれていて(女遊びも程々に!大統領さん!)早く最新の新聞が読みたい。その後は200.シャーロッテンブルグ城(2)(Schloß Charlottenburg)へ。内部に幾つかの博物館、美術館が入っているけど着いた時間が遅くて一つしか回れなかった。ただ201.ピカソ美術館(5)(Staatliche Museum)を発見。締めくくりは202.テレビ塔(4)(Fernsehturm)。S-Bahnで近づくにつれて塔はどんどん高くなっていく。エレベーターで上まで。最上階はカフェかレストランになっていてかなり長い列があった。ここから見るベルリンの感想は緑の多い街。そして工事。眺めはいいのでぜひ。ただこれといった物はなかった。入口には有名な塔の高さが書かれていて、東京タワーやエンパイア・ステート・ビルディングなどもあった。下からもう一度眺めると傾いて見えるほど高い。時間があったのでもう一度壁博物館へ。チェックポイント・チャーリーの遮断機が見たかったけどなかった。これで長かったベルリンも終わり。10年後に戻って来たい感じ。総てが完成した後のベルリンが見たい。総てが近代的でニューヨークや東京でもロンドン、パリでもない大都市ができるはず。次の目的地デュッセルドルフへ向けて夜行に乗る。

198.大聖堂

旧帝国議会議事堂

オリンピック・スタジアム

チェックポイント・チャーリー

 

 ベルリン・ツォー駅 → デュッセルドルフ

ヂュッセルドルフ

 9月2日 少し冷える 夜行

 

 

デュッセルドルフ? デュッセルドルフには日本企業が多い。人工約60万の都市に6千人近くの日本人と200数社の日本企業がある。

デュッセルドルフに着いて空を見上げると雲がかなり厚く、暗い。駅から延びるインマーマン通りには日本企業が多かった。王宮公園からイエーガーホフ宮殿へ。公園の中を通る大通りを抜けてハイネ記念塔を捜しに。ただらしい物があるけどはっきりせず結局探せなかった。少し歩くと大きなゆったりしたライン川がゆっくり流れていた。遠くに高い塔が見える。そこから203.(2)(Schloss turm)へ。小さな物だったけどきれいに飾ってある。市庁舎がまたきれいだった。マルクト広場を抜けハイネの像へ。そこから引き返してハイネの家へ行くけどベルを押せど応答がない。仕方なく204.州立美術館(4)(Kunstsammlung Nordrhein Westfalen)へ。そして205.デュッセルドルフ美術館(2)(Kunstmuseum Düsseldorf)へ。日本人がもっといてもいいはずなのにそれほどいなかった。仕事でもしていたのかも。いかんせん天候が悪く告ぎの町、ケルンへ急ぐ。

206.大聖堂

206.Vol2 206.Vol3

ケルン駅

ケルン駅 Vol2

ケルン駅 Vol3

207.ヴァルラーフ・リヒャルツ美術館&ルートヴィヒ美術館

 

 デュッセルドルフ → ケルン

ケルン

ケルン? マインツから出たライン下りの船の終着点。中世ハンザ都市として栄えた歴史が町のあちらこちらに残っている。ドイツきっての文化都市。京都とは姉妹都市とか。(吉○君、知ってましたか?)

ケルンまでの列車の中ぐっすり寝てしまった。30〜40分程だったけどとにかく最近疲れている。体がついてこず、精神的に体を引きずっているよう。ライン川には船が行き交いドイツの重工業地帯の中心地。日本人には船で大量に物資を運ぶというのはあまりイメージが湧かないと思うけど。ここはローマ時代からの古い街でドイツきっての文化都市。ケルン駅は結構大きい。駅から出るとまず206.大聖堂(5)(Dom)が目の前に飛び込んでくる。飛び込んでくるというより上を見上げない限り教会しか視界に見えない。とにかくでかくて古くてきれい。内部も豪華の一言で宝石の小さな博物館もあった。1248年に着工して1880年に完成したカトリック寺院。高さ157m、高さ157m、奥行き144m、幅86mという大ゴシック建築。外に出ると塔への入口へ。509段の石段を登った塔の上からは総てが見える。エレベーターがないので覚悟して上ろう。隣にあるライン川がまた雄大に流れている。次に207.ヴァルラーフ・リヒャルツ美術館&ルートヴィヒ美術館(5)(Wallraf Richartz Museum & Museum Ludwig)へ。橋を渡ってライン川の対岸へ。途中で振り返っても黒ずんだ大聖堂がどっしり立っている。対岸からの教会も最高にきれいでライン川もしっとりして周りの公園や建物と溶け込んでいる。また橋から見るケルン駅もまたかっこいい。駅自体がきれいに整備してあるので駅から発車する電車と一緒に写真を撮ってみては。結局ケルンはこの2つだけしか回らず。美術館に納得、大聖堂に感動。ケルンからはいったんデュッセルドルフへ帰って次の目的地はマインツへ。マインツには泊まらずお金を削りたかったのでカールスルーヘへの列車に乗って、そこからマインツへ帰ってくる予定。これで4時間程電車の中で寝れた。お金を使わないようにする方法はいくらでもある。ただ駅では眠れない。警備が厳しいので駅の待合室でも心配。こうするのが一番いい?

 

 ケルン → デュッセルドルフ → カールスルーヘ → ボン → マインツ

マインツ

 9月3日 蒸し暑い ユース

噴水

噴水 Vol2

街並み

 

マインツ? ライン川とマイン川の合流点マインツはラインワインのふるさと。活版印刷を発見したグーデルベルグの出身地でもある。(実際は中国の方が早かったはず!)

朝起きるとまだ体から疲れが抜けきっていないのが分かる。ただ動かねば。あいにく駅に着くと雨。どしゃ降りではないものの気が滅入る。シュテファン教会に向かって歩くと途中小さな公園があり、いかにもドイツといった噴水がある。そこからトラムの路線上を歩いてシュテファン教会へ。ただまだ開いていない。仕方なく大聖堂へ。この途中で小学校の授業風景を見る。一部屋に20人位の生徒がいて生徒と黒板の距離が非常に近い。ただ風景は日本と一緒で他の生徒と話をしている生徒や窓の外を眺めている子などとても微笑ましかった。大聖堂の前は少し開けている。広場には何やらテントが立っていて、制服を着た警察官がたくさんいる。聞くと警察官の入学式があるとか。この町には2つの教会しか見所らしき物はなかったので仕方なく近くのカフェへ。カプチーノを頼むと上にアイスがのっている。最初はまさか冷えたカプチーノかと思ったぐらい。これがまたうまい。なかなか式が終わらないので208.シュテファン教会(3)(Stephen Kirche)へ。中はそれほど大きくないけど青一色。シャガールのステンドグラスが教会の雰囲気となぜかマッチしていた。青なのに冷たい感じがしないのが不思議。この教会は約千年前の古い建築だけど第二次世界大戦でいたる所にダメージを受けた。あるドイツ人が何通もの手紙と共に平和の思いを書いて送ったところ1976年(自分の誕生年)にシャガール90歳の時、教会のためにステンドグラスの製作を始めた。なんともすごいエネルギー。ここのポスターがまた高い。ほとんど誰もいないので椅子に座っていると体からすっと力が抜けて行くような静かな教会だった。そこから再度209.大聖堂(3)(St.Martin Dom)へ行くと警官が広場に集まっていた。すかさず中に入る。さっきのに比べると他の教会と同じくどっしりしていてステンドグラスがカラフル。大聖堂の近くにはグーテンベルク博物館がある。入ろうと思ったけど子供がいっぱいいて邪魔するのもなんだと思って...おそらく授業のいっかんとして来ていたのでは?両手にインクをつけて館内を走り回っているのを見るとのびのびしているなと思ってなんというか。それからは2つの教会を見終わったので近くのお城に行くことに。道を見失ってぶらぶら歩いていると何と小雨が降り始める。やな雰囲気。結局何もないただの城壁のみでがっかり。そこからまた駅までが遠い。帰りがけに制服を着た中学生らしき生徒が煙草を吸っていたのを見て、どこでも一緒だなと思った。駅の近くに鳥の手羽先の丸焼きを売っている所が。においといい見た目といいうまそう。2つ買って500円程。熱くて食べずらかったけどジューシーで柔らかく最高にめちゃくちゃうまかった。これまででマインツは一番小さな町だったと思う。それからはハイデルベルクへ。

 

 マインツ → ハイデルベルグ

210.学生牢

211.ハイデルベルク城

211.城からの景色

211.Vol2

211.Vol3

ハイデルベルグ

ハイデルベルク? 由緒あるハイデルベルク大学はフライブルクの大学と並び、全ドイツ哲学を代表する大学。ネッカー川にかかる橋の上では「ここから望む眺めには世界のいずれの橋も及ぶまい」とゲーテがたたえる。

この駅はかなりきれいで新しい。駅を出るとInfoの建物。中に入っても特に何もなく町の中心地へ。バスでビスマルク広場へ。ここから中央通りへ歩くと歩行者天国になっていてとてもにぎやか。ハイデルブルク大学の210.学生牢(2)(Studentenkarzer)へ。ここは1812年に治外法権だった大学内で悪い事をした学生を入れるために作られたものだけど、そのうちにたまり場になってしまったという所。当然牢屋になっているけど壁から天井まで落書きだらけ。ただなかには結構うまい絵も多いのに驚き。近くにいたドイツ人が笑っているのを見てドイツ語が分かればもっと面白いのにと思ったけど...通りを先に進むと右に騎士の家が見えてくる。壁全体に絵が描かれていてびっくり。聖霊教会は花が飾ってあってとてもきれいだった。そこから211.ハイデルベルク城(4)(Heidelberg Schloss)へ。マルクト広場辺りからこの城は見え始めたけどおとぎ話に出てくるような城でなく戦うための城。坂道がきつくたどり着くまでに一苦労。城は少し壊れているもののそれでも力強くきれいだった。またここから見えるネッカー川とハイデルベルクの街並みが格別にきれい。城の内部は薬事博物館とワイン工場。ワイン樽は大きいもので高さ8mもあってもちろん世界一。城の中にはツアーに参加しないと入れない所があってすべては見れなかった。そこから少し歩いて城の前にある公園の道を歩いてみよう。公園自体は何でもないけど一番端まで行くとその景色に感動するはず。そこから川の向うに見える森には哲学の道と呼ばれる散歩道がある。(京都の物と比べるとただの山道だとか)雨が降り出したので結局あきらめて駅へ帰ることに。ここでも日本人と出会って少し話しをした後は駅まで一緒に行く事に。

 

 ハイデルベルグ → シュトゥットガルト

シュトゥットガルト

久しぶりに早めに街に着いたのでさっそくユースへ。ここのユースがまた分かり難い。駅の地下を抜けて東に向かうと公園がある。ここを抜けて目の前にある大きな道を横切ってそのまま目の前の小高い丘へ向かって進むとさっそく道に迷う。結局近くの人に聞いてみるとあながち間違ってはいないけど少し歩かないと行けないとか。急な斜面が多いし、バックパックは土産物で重く肩がいつちぎれてもいいような状態。このユースは小高い丘の斜面にあるので結構眺めがよくシュトゥットガルトの夜景が少し楽しめる。夜景が楽しめても腹はへる。という事で駅の地下にあるスーパーへ買い出しに行ってこの日は終わり。この時一番厄介で重いバックパックを駅のロッカーへ預けることに。こんな重いものをユースまで運ぶ必要はない。

 

 9月4日 少し暑い 夜行

ポルシェ本社

212.ポルシェ博物館

212.Vol2 212.Vol3

213.メルセデス・ベンツ博物館

213.Vol2 213.Vol3

213.Vol4 213.Vol5

信号にヘビ?

214.ルートヴィヒスブルク城

214.Vol2 214.Vol3

214.Vol4

 

シュトゥットガルト? ファンタスティック街道の東の玄関口。シュトゥットガルト室内管弦楽団をはじめ、来日もしているバレエ団、バッハ合唱団、管弦楽団、現代の名指揮者カルロス・クライバーがかつて活躍した歌劇場など、ドイツのトップクラスの音楽が楽しめる。自動車の街でもあり、ベンツやポルシェがおぎゃーおぎゃーと生まれている。

朝起きてユースを出る。重いバックパックを運ばなくていいのはやはり楽。さっそく行ったのは212.ポルシェ博物館(3)(Porsche-Museum)。近郊列車で駅へ着くとすぐにポルシェ本社の黄色い工場が見えてくる。ここらへんを歩くと当然と言われても仕方ないけどポルシェだらけ。展示室は一フロアーしかなくて展示されていた車も10台なかったと思う。帰る前にポルシェの模型の誘惑に負けて買ってしまった。後で運ぶのに少し苦労したけど旅ももう10日程。一台F1の車があったけどそのエンジンのでかさにはたまげる。こんなのが運転できたらなー。我が愛車Carina-EDの方が乗り心地はよさそうだったのは確か(あたりまえ?)。工場の一角に博物館はあって無料なので行ってみよう。駐車場のほとんどがポルシェだったのにはさすがに唖然。気を取り直して次は213.メルセデス・ベンツ博物館(4)(Mercedes-Benz Museum)。駅から20分ほど看板にしたがって歩くとあのエンブレムがくるくる回るベンツの工場へ。ここも敷地内はベンツだらけ。いったん道に迷って近くの人に道を聞くと何とベンツのSクラスで博物館まで送ってくれるとか。(もちろん初めて)敷地内は勝手に歩いては行けないみたいで(当然?)工場外から出るバスに乗って博物館へは行きましょう。ここは博物館と呼ぶにふさわしく年代物のクラシックベンツがずらりと並んでいる。ヨットまで作っているとは知らなかったけど。中でもヒトラーから天皇に送られたベンツは車という概念を越えていた。豪華とか言う言葉では表現できないほど大きくて重厚だった。面白いのが後ろ座席に付いていた操縦レバーで”前”とか”止”とか書かれたボタンが付いていた。もちろん天皇の菊の紋章も付いていた。何でドイツに送り返したんだろう?これにはSクラスも完敗。展示物が多くきれいにならべてあってそれぞれ特徴があった。これには日本車も付いて行けない。日本車の性能がいいとは言え歴史がないのは残念。後、高級車を扱っていないのも日本車があまり高級感がない理由の一つ。(だからあれだけ売れるんだろうけど)ぜひ行ってみよう。それからは市内に戻って214.ルートヴィヒスブルク城(4)(Schloss Ludwigsburg)へ。思ったよりきれいでそれほど大きい城ではないにしろ整備が行き届いていた。庭がきれいで花が満開だった。日本庭園もあったけどあの日本の雰囲気はヨーロッパ人には出せないのだろうか?少し面白かった。行ってみる価値はあると思うけど。市内に戻った後はケーニッヒ通りをぶらぶら歩く。歩行者天国になっていてにぎやか。新宮殿などを見た後は、215.州立美術館(5)(Staatsgalerie)へ。ここからはミューヘンへいったん行って明日の目的地ドレスデンへ。これでまたユース代がういた。

 

 シュトゥットガルト → ミューヘン → ドレスデン

旅行記・物語Y