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 9月5日 少し寒い ユース 後 って  |
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かつてザクセン王国の首都として栄えたこの町は、中世にはエルベ川の水路を利用した商業都市として発展し、18世紀にはフリードリッヒ・アウグスト大王のもとで、芸術と文化の都として全ヨーロッパに知られるようになる。第二次世界大戦中、英米空軍の激しい空襲で町のほとんどが破壊され、4万人近い犠牲者を出すという悲しい過去を持つ。
中央駅を降りてから聖十字架教会の方へ歩き出す。時間が早すぎたのか閉まっていたので宮殿のわきを抜けてエルベ川へ。途中に 216.君主の行列(2)(An der Außenseite des Langen Ganges)と呼ばれる壁画がある。長さ102mでマイセン陶器で作られたもの。ここからマイセンの町へは30分ほどで行ける。 217.ブリュールのテラス(3)(Brühlsche Terasse)に上るとエルベ川が見渡せてきれい。ただこの日は結構寒かったのですぐに出発。対岸に渡って黄金の騎士像を見た後は日本館へ。ここがなぜ日本館と呼ばれるのかは分からなかったけど普通のヨーロッパ風の建物。しばらく川岸でゆっくりした後は橋をまた渡って大聖堂へ。ここはどうやって上るのか分からなかったけどそこから見えるゼンパー歌劇場とツヴィンガー宮殿はなかなか。宮殿は建物自体を城塞風の回廊で囲んであった。1709〜1732年にかけて作られたバロック建築。第二次大戦で大破したけど、すぐに復旧に取りかかった。中にあった 218.古典巨匠美術館(3)(Gemäldegalerie Alte Meister)に行った後は 219.アルベルティーヌム(2)(Albertinum)へ。最後に 220.聖十字架教会(3)(Kreuzkirche)へ行ってドレスデンの街並みを鐘楼の上から眺める。町並みは少し古びていてきらびやかさはなかったけど素朴な感じ。そこからはライプチヒへ。 |
 ゼンパー歌劇場
217.ブリュールのテラス
ぼろアパート |
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 ドレスデン → ライプチヒ |
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エルベ川の支流エルスター、プライセ、パルラの3つの川の合流地点にあるライプチヒは古くから多くの商人が行き交う商業の町。第二次大戦前はドイツの出版物の半数がここで印刷された。ゲーテやニーチェ、森鴎外が学び、半生をライプチヒで過ごしたバッハは、聖トーマス教会で幾つもの名作を生んだ。
着いたのが思ったより遅かったのでタクシーですぐに 221.聖トーマス教会(2)(Thomaskirche)へ。とても小さな教会で、ステンドグラスがきれいだった。バッハは1723年〜1750年まで27年間ここでオルガンを弾き、聖歌隊の指揮を務めた。バッハの墓もここにある。その後は向かいにある 222.ヨハン・セバスチャン・バッハ博物館(3)(Johann Sebastian Bach Museum)へ。そこから造形美術館へ向けて歩いていると新市庁舎が見えてくる。この市庁舎はお城の様な形をしていて16世紀のお城の塔を利用して建てられたとか。造形美術館に着いても周りが工事用の塀に囲まれている。どうも閉まっているみたいで近くの人に聞くには旧市庁舎の近くに臨時の物が開いているとか。 223.造形美術館(3)(Museum der bildenden Künste)はそこそこ。雨が降り始めたので早足でオペラ劇場と新ゲバントハウスを見て 224.ニコライ教会(3)(Nikolaikirche)へ。ちょうどミサが終わった時みたいで中に入れた。落ち着いた感じの教会。今日は寒くて観光という気分でもなかった。今日の宿はワイマールで取ることに。 |
 新市庁舎
噴水 |
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 ライプチヒ → ワイマール |
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着いてすぐに街の小ささにびっくり。 殺風景。ユースを探そうにもバスもほとんど走っていないし、真っ暗。店もすべてしまっていたので自分の足で探すしかない。それも雨が降っていて最悪。何とか見つけた居酒屋で道を聞いて何とかたどり着いた時にはホット一息。客もほとんどいないみたいで一部屋貸し切り状態だった。かなり新しいユースで総てがきれいだったのがせめてもの救い。寝よう。 |
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 9月6日 歩くには快適 カール   |
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ワイマール憲法が生まれた都市で、ゲーテやシラーといった詩人から、ヘーゲル、ニーチェといった哲学者、バッハをといった有名人も生んだのがワイマール。1999年の「ヨーロッパ文化都市」に指定されている。
駅へ帰る交通手段がなかったのでそのまま 225.ゲーテの家(2)(Goethehaus)へ。ゲーテが1782年〜1832年に亡くなるまで50年間住んでいた家。内部は観光客が全くいない。きれいに片づけてあって見みやすかったけど、表示がすべてドイツ語だったのでなにがなんだか分からない。その後は 226.シラーの家(2)(Schillerhaus)へ。1774年に建てられた家で1802年にシラーが購入、1805年に亡くなるまで住んでいた。中は家がかなり傾いていて平衡感覚がかなり変になる。ここもドイツ語のみで残念。ぶらぶら国民劇場まで行ってみたけど荷物が重かったので観光といった感じではなかった。街中はほとんど人が歩いていなくてかなり寂しい。町の中を走るバスの数もかなり少ない。結局最後に 227.宮殿(3)(Schloß Kunstsammlungen zu Weimar)に行ってワイマールの観光終了。夜遅くこの街に着くのは止めよう! |
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 ワイマール → エアフルト |
噴水 噴水 Vol2
 228.大聖堂
228.Vol2
 229.クレーマー橋
229.Vol2
230.現代美術館 |
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この町が歴史の登場するのは742年に司教区が作られてからで、1200年以上の歴史を誇る。
この頃になると ドイツの街をどういうふうに回ろうかで頭の中がいっぱい。これまで結構効率よく回ってきたけどなかなか思い通りには。この市内観光も自分の足でぐるぐる回る。まずアンガー広場を通り抜けてクレーマー橋へ。行ったと思ったもののすでに道に迷ってセベリ教会の近くへ。ドーム教会から見るセベリ教会と大聖堂はかなりきれい。どちらも重みがあって古びている。少し小高い丘の上に立っていて、階段でそこまで上る。セベリ教会の方は入れなかったけど 228.大聖堂(4)(Dom)へ入る。中は思ったより大きくなかったけど、広場に面するステンドグラスが大きくてカラフル。エアフルトに来たら必ず行ってほしい。そこから東に向かって 229.クレーマー橋(4)(Krämerbrücke)を見る。浅瀬に架かる小さな橋で橋というより建物を支える土台のような感じ。11世紀頃にできたとか。橋の上に建物が建っているのが面白い。最後は 230.現代美術館(2)(Galerie am Fischmarkt)へ。この街いろいろな所で道に迷う変わった街。あまりぱっとはしなかったけど。これからは友達に会うためにブレーメンハーベンへ。何とかこの日に着くための列車の乗り換えが見つかったのでさっそく出発。 |
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 エアフルト → フルダ → ブレーメンハーベン |
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駅に着くとほとんどの駅は閉まっている。着いたのがなんせ10時半。そこからカールに電話してしばらく待っていると 髭を生やした彼の登場。バーガーキングでポテトとコーヒーを飲んだ後は彼の家へ。大きなシェパードが一言”ワン”。なんかドイツに来たなといった感じ(?)今日は久しぶりにゆっくりできる。 |

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カール :アメリカでであったドイツ人の友達。当然ビールが大好きで大学の寮では夜になるといつも他のドイツ人とビールを飲んでいた。彼曰く、バドワイザーはビールではない!? |
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 9月7日 快適 カール   |
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朝起きて朝食を取った後はブレーメンハーベンの市内観光。港町として栄えたみたいで大戦中は当然海軍の基地になった。 231.海軍博物館へ行ったらやはりUボードが置いてあった。街の雰囲気としては特に古い物はないみたい。町中をぶらぶら歩いてちょっとした買い物をする。港町らしくコンテナがいっぱい並んでいたり、輸出・輸入車がズラリ。ドイツの誇るベンツやBMW、またイギリスの(BMWが経営しているけど)ローバーなどがいっぱいあった。魚の加工場などもいっぱいあって、カールもそこでバイトしていたとか。まさに田舎町で海岸沿をそれるとのどかな農場が広がっているものの、天気が悪くてあまり観光という気分のしない日だった。夕食はカールの家でバーベキュー。 |
 どっかのちっちゃな城
 231.海軍博物館 |
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 9月8日 まあまあ カール   |
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この日は朝起きてもう一人の友達 ゲァードに会いに行く。途中川を渡るために小さなフェリーに乗る。ここで30分程待った後に行ってみたけどいなかった。仕方なくカールの大学に行ってみてしばし休憩。ここらへんは本当に何にもないところで飯塚よりも寂れているといった感じ。再度帰ってみるとゲァードに再会。カールに会うのもゲァードに会うのもほぼ1年ぶり。去年アメリカの大学であってからゲァードの方はほとんど変わっていない。コーヒーを飲みながらしばらくしゃべってお別れ。次はいつ会うのか?その後は海軍博物館へ。ドイツ海軍の軍艦の模型などがずらりと並んでいた。Uボートももちろんあって中に入ってみたけど、めちゃくちゃ小さい。寝る所も小さければキッチンもトイレも小さくてよくこんな所に長い間入れるなといった感じ。今日もこれぐらいしかやってない。カールの友達と夕食を一緒に食べて終了。家にいるカールの犬がまたかわいい。ニコラの家にもルイーニの家にも犬がいた。ペットはやっぱりいいものだなーなどと思いつつ今日も終了。 |
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 9月9日 蒸し暑い 夜行   |
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カールの家でゆっくりした後はまた一人旅の始まり。 カールと家族にはお世話になりっぱなしだったけどすごくやさしくて暖かみのある家だった。カールに駅まで送ってもらった後は列車の旅の再開。 |
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 ブレーメンハーベン → フランクフルト |
エッシェン・ハイマー塔
 オブジェ
 ハウプトヴァッヘ
オブジェ
カテリーナ教会
 237.大聖堂からの景色
237.Vol2
240.市立美術館 |
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戦後、旧西ドイツの商業の中心地として栄えて来た町。ドイツの国際玄関として空と陸の交通の要所となっている。
ドイツ観光の最後の町はフランクフルト。 カイザー通りを抜けてゲーテ記念像、シラー記念像、ハイネ記念像、ベートーベン記念像を見た後は旧オペラ座へ。街中は高層ビルが立ち並んでいて大きな街だなと思ったけど、それほど大きさを感じさせないのがびっくり。日本のように二極化が進まず、それぞれが分散している感じ。日本であれば政治も商業も東京に集中しているけど、ドイツでは政治はボン(ほんとに小さな町だった)、経済と商業はそれぞれの町に分散している。旧オペラ座はコンサートでもあるみたいで敷地内にテントがいっぱい立っていた。そこから東に向かってエッシェン・ハイマー塔へ。そこからはゲーテが洗礼を受けたカテリーナ教会へ。小さな教会で中には入れなかった。失業者(ホームレス)が教会から食事をもらっていたのがヨーロッパ的だった。(日本もこうなるのか?なってたまるか!)そこから 232.ゲーテの家(4)(Goethehaus)と 233.ゲーテ博物館(2)(Geothemuseum)へ。ゲーテはこの家で1749年に生まれる。ゲーテ自身が”広く明るく陽気な家”というぐらいで中は広く、4〜5階建てだった。大戦で破壊されてしまったものの復元されていた。ゲーテ博物館はゲーテの作品に関する資料が展示されていたけど絵画がほとんどだった。絵自体はピンと来るものはなかったけど。ここからは 234.旧市庁舎(3)(Römer)を探すのに一苦労。建物の中には 235.皇帝の間(3)(Kaisersaal)があって52人の皇帝の肖像画が並んでいた。ここのチケットは自動販売機で売られているけどそれを見つけるのがまた大変。入口には特に印がなくてドアが閉まっていたけどそこしかないと思って恐る恐る入ってみてやっと発見(もっと分かりやすくしましょう!)。旧市庁舎は例外にもれず壁全体に花の絵が描かれていてきれいだった。北にある 236.パウルス教会(3)(Paulskirch)のなかなか面白い。教会としてはもう使われていなくて中央の壁にぐるりと360度絵が描かれていたのが印象的。町の景色を見るにはやはりいつも 237.大聖堂(4)(Dom)へ。ここの高塔は95mで階段で最上階まで。頂上にはほとんど誰もいなかったので一服。町中見渡してもこれといって特徴のない街。マイン川が街を2つに分けていたぐらい?協会内はそれほどでも。あまり印象がないのか何も覚えていない。そこから 238.現代アート美術館(4)(Müseum Für Moderne Kunst)へ。そこから偶然見つけた特別展示場”1848 Aufbruch zur Freiheit”というものへ行く。内容はドイツの歴史に着いての展示だったけどなんせ表示がすべてドイツ語なので何がなんだか。そこからマイン川の南にある博物館群へ。この日は月に一度の入場料無料の日だったらしくすべての博物館、美術館がタダだった。 239.ドイツ映画博物館(2)(Deutsches Filmmuseum)は古い撮影機具でいっぱいで内部は少し薄暗かった。博物館の売店で葉書を買った後は 240.市立美術館(2)(Städelsches Kunstinstitut)へ。途中建築博物館や郵便博物館もあったけど閉まっていたみたい。これで一応観光終了。マイン川沿いは両岸が整備されていて歩けるようになっている。なにか観光地というより商業中心の街でそれほど感動がなかったのが残念。おそらく気分はすでにロンドンへ。この長い旅も残すところ数日。長かったドイツの観光が終了してこれからはデンマークの首都コペンハーゲンへ。いったんケルンに行った後、夜行で直行。コペンハーゲン自体小さな島の上に乗っているので大陸から入る列車は船に直接乗りいれるようになっている。船に列車ごと入ったことも気付かないぐら熟睡していたけど。 |
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 フランクフルト → ケルン → コペンハーゲン |
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 ドイツ人とは?  |
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ドイツ人は旅行好き。 ヨーロッパの優等生らしく国民所得も高く外に出る人が多い。それに加え日本人に加えて明らかに旅行がしやすい環境にあって、車で週末にちょっとした海外旅行ができる何ともうらやましい人たち。オシャレな格好で着飾った日本人ツアー客とは正反対で、かなりラフな格好(ジーンズにTシャツ)で大声で話しながら楽しそうに旅行している。旅慣れたドイツ人だからこそ、自国にやってくる観光客を迎える態勢も万全。その証明にユースホステルがある。ドイツで生まれたユースホステルは軍隊の様式を取り込んだ安宿で貧乏旅行家に一番なじみ深く、日本人ツアー観光客に一番なじみ遠い物(?)。鉄道やバスの運行もスムーズで旅のしやすさは文句無しにヨーロッパ1。そのドイツも今はちょっとした過渡期。東ドイツと統合し、失業者の増加を伴う「産みの苦しみ」に直面している時。ヨーロッパ一の経済大国であると同時にヨーロッパで1,2を争う失業者率に加え、ネオナチによるアンチ外国人労働者への過激行為などが新聞の紙面を飾ることも。旧東ドイツが旧西ドイツ並みの生活レベルに達し、ベルリンを筆頭に再開発事業が終わった頃にぜひ帰ってきたい国。スイス、オーストリア同様に教育のレベルも高く英語を喋る人が多いので旅行するには問題なし。この旅行中に一番多くの町を周ったのもここで旧東、西ドイツの対照的な町並みが面白かった。それにしても東西統一をあれほどすばやく果たしてしまったドイツ人の力には驚きで朝鮮人も見習ってほしい所。(南北が統一されれば必ず大きな国になるはずだし、第一頭の上をミサイルが飛んできたりはしないはず)多くの物が最新できれいで新しいというのが驚きでこの国にだけは日本も負けてしまうかもと思った場所があった。そのドイツも昔、ドイツと言った国は当然なく、小さな国が統合され現在の国になっている。その過程で現在はドイツの一部である地域が過去他の国の物であったりして、一言にドイツといっても地域によってかなり特色がある。(日本のように古くから国の領土があまり変っていない国は日本以外にはないはず。アメリカとカナダの国境なんか定規でひいたようにまっすぐ)列車の便が特にいいので動きやすく、逆に計画を立てるのが難しかった時もあった(長時間かかればあきらめることができるけど、ドイツだと何とか行けてしまうので)。さすがに旧東ドイツでは観光にまだ力が入れられていない所があったりして英語が通じないとか、設備が乏しかったりしたのが残念。 |
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 9月10日 快適 夜行 後  |
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チボリ公園(岡山県倉敷市に去年?開園しましたのでぜひどうぞ!倉敷はええ所やでー)と人魚の像で知られるコペンハーゲンは童話の父、アンデルセンを生んだ国。アンデルセンは1805年に貧しい靴職人の子として生まれ14歳で俳優を志しコペンハーゲンに出る。彼はこの街で苦汁をなめ祖国デンマークは彼にとって居心地のいいところではなかったよう。シュラン島の東岸にある貿易港で、造船業が盛んな町。1167年に最初の城砦が築かれて以後発展し、1443年以降首都。
今の若い世代の日本人にとって”黒澤明”とは?と一緒のような感じなのか?(海外であれだけ認められているのが分からない。失礼) あなたは黒澤さんの映画を見たことがありますか?七人の侍?そんな事はどうでもよくて(アンデルセンと比べていました)さっそく9時前に到着したので観光開始。時期的に9月以降は冬の開演時間を取っている場所が多く開館時間が短くてなかなか効率的には回れなそう。まず駅に荷物を預ける事から問題。現金を得るにもなかなかキャッシュマシーンが見つからない。何とか見つけて駅を出てすぐに右へ行くと大通りが。すぐにチボリ公園が見えてくる。なんと夏の間しか開いていない遊園地。まあ独り者の貧乏旅行者には関係ないけど。時間の関係で身動きが取れず結局20分程時間をつぶした後に 241.ニュー・カールスベア美術館(4)(Ny Carlsberg Glyptotek)へ。その後は 242.クリスチャンスボー城(4)(Christiansborg Slot)へ。ここは結構でかいです。中はガイドツアーで周われるようになっていて結構面白かった。デンマークの王室からは結構王様が出ているとか。(外国の王様になっている人が多い。)えらい自分の国の王室に誇りを持っているのがデンマーク人。どこかの王室のようにスキャンダルまみれでないのが王室らしかった。ここの皇太子は香港人の奥さんがいて結構きれいだったけど。そこから更に北に向かってコンゲンス・ニュートーウ広場へ。ここはシャーロッテンボー宮殿と王立劇場があった。どちらも古くてきれいな建物。この広場はかなり大きくて広場に接する建物自体が重みがあったのが印象的。そこを更に北へ向かうと 243.アメリンボー宮殿(3)(Amerienborg Slot)へ。ここは衛兵がいないと質素そのもの。18世紀末にクリスチャンスボー城が炎上したために4人の貴族のマンションを取り上げて宮殿としたとか。(なんちゅう王室や!?)それぞれが美術館や博物館になっているみたい。その横にはフレデリック教会がどっしり建っていた。丸く大きいドームをのせた教会で中に入りたかったけど時間の関係で後に回すことに。(結局は入れなかった)さらに北へ向かうと 244.人魚の像(2)(Den Lille Havfrue)へ。アンデルセンの童話の中の「人魚姫」が質素に立っていた。最初に見た印象は質素そのもので”もっとお金使えよ!”といった感じ。普通の岩の上に像がぽつんと立っていて結構歩いたわりには感動なし。まあ観光ですので。市内に戻って時間の関係で 245.市庁舎(3)(Radhus)まで歩く。ここもガイドで中に入れるようになっていて106mの時計塔まで上れるようになっている。ガイドといっても解説のガの字もないもので要は道を教えてくれただけ。ここからのコペンハーゲンの眺めは他のヨーロッパのものとは少し違う。ぜひ上ってほしい。近くにアンデルセンのブロンズ像があったけどこれまた質素でした。市庁舎前広場で小さな子供が縄跳びをしていたのを見て”ほっ”。歩行者天国を通って 246.大聖堂(2)(Dom)へ。絶対に大ではなく普通の教会。中にはほとんど誰もいなくて結構新しく特徴のない物だったのが残念。 247.ラウンドタワー(3)(Rundetãrn)に上るとまたコペンハーゲンの街が見える。ここからはローゼンボー宮殿も見えたけどそれほど高い塔でなかった。中は階段がなくてら旋上に道が上って行く感じ。立体駐車場のよう。隣のトリニティー教会はガラス越しに見えたけど入れなかった。そこからローゼンボー宮殿がある王立公園へ。このころになると日中でもけっこう肌寒く公園にいる人もまばら。ローゼンボー宮殿は小さな小さな物だったけど垣根につたが絡みついていて古そうだった。中には入れなかったけどガードマンがいてじろっとこっちを見ていたのが恐かったけど。それから楽しみにしていた国立美術館へ。近づくにつれてやな予感。美術館の庭がえらく散らかっていてガラス越しになにか工事用の踏み台が見えてくる。案の定、内装工事をしていたみたいで工事のおっちゃんが”閉まっているよ!”とか。作品は他の場所に移されていないとかで見れなかった。レンブラントやマチス、ピカソ、ムンクなどが置いてあると書いてあったのでめちゃくちゃ残念。うなだれながら駅へ向かう。どうも納得が行かない。2ヶ月間も旅行しているので全部開いているとは思わないけど大事な見たい場所が閉まっているのが多すぎてむかつく。後味が悪いけど日程的にこれからアムステルダムに行かないと。もう一日あれば少し郊外にある宮殿とかに行けたのに。日程的に見るとぎりぎりなのでコペンハーゲンを後にする。コペンハーゲン・ハンブルグ間は行きと同じように列車ごと船に乗ることに。船の中に免税店があってたばこを少々。この免税店は結構大きくて長蛇の列。着いてから列車はすぐに出発。当然乗客の確認なんかないので乗り遅れても誰も待ってくれない。船内にボーッとしていると置いて行かれます。その後は夜行を乗り継いでマリファナが合法に吸える街アムステルダムへ。 |
コペンハーゲン駅
 チボリ公園
 衛兵
244.人魚の像
243.アメリンボー宮殿
 245.市庁舎
街を流れる運河
噴水
オブジェ |
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 コペンハーゲン → ハンブルグ → ハノーバー → アムステルダム |
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 デンマーク人とは?  |
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デンマークは、ユトランド半島と付近の 大小約500の島を集めても、九州よりちょっと大きいぐらいの小さな国。山らしい山がなく、最も高い地点でも173mというからいかに平らな国か分る。その昔ヴァイキングだった子孫達が静かに小さな国で生きているといった感じ。その昔ノルウェーとスウェーデンを支配していた。とは言っても、日本人にとってデンマークは「どこにあるの?」とさえ言ってしまうほどあまり印象にない国の一つだと思う。実際ガイドブックにもコペンハーゲンともう一つの町しか載っていない。(それも”デンマークの田舎を楽しもう”みたいな小さな町)小さな国らしくみんなおっとりしている感じで街を歩くビジネスマン(ウーマンも)も歩くのはやはり遅い。(イギリス人は結構早いです)コペンハーゲン市内に残る建物もそれほど多くなく、コペンハーゲン自体小さい。なんせ一日しかいなかったのでそれほど感動もなくヨーロッパの町の一つ。そのくせデンマークに着いては結構知った気分。とにかく小さすぎ。省略気味にこの章は終了。 |
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 9月11日 快適 ユース 後  |
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アムステル川をダムで塞き止めて町を作ったことから名付けられた街、アムステルダム。ドイツ占領下の第2時世界大戦中、アンネ・フランク一家が潜伏していたのもこの街。多くの移民を受け入れる街でそのため歴史的に見て多種多様な民族と文化を寛容してきたのが特徴でそのために若者が多く集まることでも有名。ドラッグ(マリファナ:この街では合法でマリファナが吸えるほか、種を買うこともできる。ただもちろんアムスの外へ持ち出すことはできないので。持ち出して見つかればそれなりに覚悟した方がいいと思うけど)SEXに関しても受け入れられていて”ゲイシティ”とも呼ばれているのもここ。とりあえずいろんな意味で魅力的な街なのは間違いなさそう。この街は運河の街で中央駅を中心の運河が所せましととおっている。ヴェニスとはかなり違っているけど。
さっそく駅から ダム広場へ。新教会が周りの建物に挟まれて建っているほかマダムタッソーろう人形館も見える。ただろう人形館はスペインのどこかで見てこりているので行かなかった。横には王宮も見えます。開放記念塔に腰を下ろしてたばこを吸った後はムント塔へ。小さな塔で感想なし。その後はアンネの家へ。トラムにのって数分で西教会が見えてくる。この教会はアンネの日記の中で数回出てくるので注目。 248.アンネの家(5)(Anne Frank Huis)は旅の中でも一番シリアスな観光地。ぜひアンネの日記を読んで行ってほしい。ナチスの狂気に言葉も出ず胸が痛くなる所だったけど、日本も人種差別はしていないにしても多くのアジア人を”理由もなく”殺した国であるのに再度気付く。1944年8月4日にゲシュタポに発見され、アウシュビッツの収容所に送られるまでの2年間、アンネとその家族が住んでいたのがここ。”裏の家”と呼ばれた所で、正面はアンネのお父さんの経営する会社だった。会社とアンネの住んでいた部屋の間の階段は推理小説のごとく本棚で区切られていた。潜伏していたといってもアンネは外出することも窓から外の景色を見ることも家族から禁じられお風呂にも週にたった1度入れた。誰が何をしたかと言った事よりも人間がこんな事をできるのかといった残虐性が際立つ所でニューヨークのホロコースト博物館や広島の原爆資料間など以上に現実的だった。心して行きましょう。中の展示物はオランダ語と英語で書かれているので内容が分かるぐらい英語を勉強して行かないとあまり感動しない所かも。(勉強しよう)その後はトラムに乗って 249.国立美術館(3)(Rijksmuseum)へ。駅を出て目の前にあるインフォに街の地図が置いてあって、トラムの路線図などが分かりやすく載っているし開館時間等も分かるので取ってくると便利かも。国立美術館内で”ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ国立美術館が閉まっている”と聞いた時は半分切れてしまった。コペンハーゲンの国立美術館といいなんでこんな時に閉まっているんだ!!それも自分が一番好きなゴッホの美術館、ゴッホの生まれたオランダの美術館が閉まっているのには”遺憾”でした。(政治家がよく言うせりふです)このゴッホという画家は日本の浮世絵に影響を受けていたのも自分が好きな理由の一つ。芸術家らしく(?)ピストル自殺したのも日本の影響を受けて(?)打ちひしがれても観光は続くので次は 250.市立美術館(3)(Stedelijk Museum)へ。そこからコンセントヘボウ(音楽ホール)を見てからハイネケン工場へ。ハイネケンはドイツの会社ではなくオランダの会社です。ビールの試飲も150円程でできるとか。お酒が飲めないので寄らずにそのまま 251.マヘレのはね橋(4)(Magere Brug)へ。ゴッホの絵で有名な架け橋で当然船が通る時には開閉するようになっている。運河が町中に流れているので船が通れるようにアムステルダムには架け橋が多い。結構きれいでした。ゴッホを生んだ事で有名なアムステルダムは古典の巨匠、レンブラントも生んでいます。 252.レンブラントの家(2)(Rembrandt Huis)へ言った後はユダヤ博物館へ。開いていなかったので 253.旧教会(3)(Oude Kerk)へ。中は教会というより小さな美術館のような雰囲気でいろんな絵やオブジェが展示してあるというアムステルダムらしい(?)教会。アムス1古い歴史を誇る教会でステンドグラスはスペイン戦争の終結記念にはめられたとか。何の関係があるのか分からないけど。この旧教会の辺りには俗に言う”飾り窓”と呼ばれる風俗店が多いところ。窓ガラスの向うに下着姿のねえちゃん達が客引きしていてカーテンが閉まっているのは”活動中”の意味だそうです。堂々としていてこっちの方がこっぱずかしいのがこの辺りで変な所。ここもアムステルダムらしい所です。最後の観光地はアムスらしい 254.Sex Museum(?)です。駅から伸びる大通りのダムラー通りにポツリとかつ堂々と立っている。その名の通りセックスの関するありとあらゆる資料(?)が並んでいてはいるのもこっぱずかしいです。衝撃的というか。こんなもの展示できんのかといったものばかりで、日本の物もあったのには言葉が出なかった。”懐かしい”とかは間違っても思わなかったけど。充実していた(?)ので話のネタにぜひ寄ってみましょう。以上がドラッグとセックスに寛容なアムスの観光でした。マリファナを吸ったかどうかはご想像にお任せします。時間があればチューリップと風車が見たかったけど時期的に無理でした。ここからはベルギーのブリュージュへ。 |
 アムステルダム駅
街を流れる運河
 王宮
 マヘレのはね橋
 248.アンネの家
248.Vol2
西教会
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ国立美術館 |
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 アムステルダム → アントワープ → ブリュージュ |
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 オランダ人とは?  |
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1648年、スペインから独立、三次に渡る英蘭戦争を経て、1814年オランダ王国が成立。 堤防に穴を見つけた少年が、自分の腕でその穴をふさぎ、海水の侵蝕から祖国を守ったという愛国美談。国名のNederlandern(低い国の意)が示すように、国土の4分の1が海抜0m以下のオランダ。この国の代名詞の風車にチューリップ、運河もこの国の成立要素から生まれた。オランダ人は辛抱強い国民だとか。九州とほぼ同じ面積の国土でありながら、その20%近い部分を干拓農地に作り上げ、世界屈指のチーズ生産国として、農業国としての地位を築いたのはその証明。世界最大級の貿易港ロッテルダムもこの国の一つの顔。日本にとっても古くからなじみの深い国で西洋文化の多くがオランダからやって来た。そんなオランダは自分にとってはゴッホの生まれた国としての印象が大きい。(残念ながら多くは見れなかったけど。)それに加えて非常に先進的なアムステルダム。総てがある意味アメリカ以上に受け入れられている町でなんとも若者の町と言った感じ。アムステルダムの運河には感動。ヴェネツィアとは全く違った雰囲気で、ヴェネツィアが中世ならここは近世の街中に運河が溶け込んでいるといった様子。とても1日では理解できる国ではなく(当然)、自分にしてみるとヨーロッパの中の過激な1都市。英語は結構喋っています。 |
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最初はアントワープに一泊しようかと思ったけど予定変更でブリュージュに来たのが失敗。時間的にブリュッセルに行っても12時頃になってしまう。 最大の問題は新しい国に入ったので現金がないこと。キャッシュマシーンが街中にしかないとか。その街中に行くにも徒歩で30分程でかつ最悪な事に雨が降っている。重い荷物を持って行くこともできず、手荷物預かり所のおじさんにしばらく預かってくれないかといっても当然答えは”だめ”。それでも人間か!と思いつつ爆発寸前。じっと駅で待っていても何も解決しないので仕方なく傘を差して歩き始める。歩いても10分程で荷物が重たすぎて休憩しないといけないし、ガイドブックの地図は市内しか書いてないのでどう行ったらいいのか分らない。やっとしないらしきところにたどり着いてキャッシュマシーンを見つけて現金を手に入れた後は宿探し。市の中心地にいることは確かだけど自分がどこにいるのかはいまだに分らない。Pizza Hutのおねえちゃんがつたない英語で(自分もつたないけど)はずかしそうに教えてくれたのがうれしかった。何とか宿を見つけた頃には汗だらだらで雨に濡れてびしょびしょ。まさに旅も終わりといった感じ。それからは食料の調達。何も食べていないしかなり歩いたので腹ぺこ。結局近くのハンバーガー屋で適当に買って一日終了。今日も疲れた。ブリュージュに夜遅く来る人、特に現金を持っていない人は注意! |
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 9月12日 少し寒い ユース たり  |
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”死都ブルージュ”と呼ばれるほど街自体がしんだような寂しさに満ちているとか描かれていたこの街。
まさに昨日の経験ではむかつくこの街も来たからには観光開始。 街中には鐘楼や塔が多く道には迷いそうもない。まず街の中心マルクト広場に立つ 255.鐘楼(3)(Belfort Hallen)へ。ここの景色は何ともさみしげな街がよく見えて変な雰囲気。いきなり鐘が鳴り始めて耳がちぎれそうだった。そこからすぐの市庁舎にはなぜか高級車が数台止まっていたけど。 256.バジリック聖血礼拝堂(2)(H.Bloedbasiliek)へ。中に入ってすぐにミサが始まって出て行けとか。じっくり見られなかったのが残念だったけど。この広場にあるインフォでブルージュの地図が手に入る。なんと有料というけちな街。ただ風車が見たい人は便利。その後は 257.グルーニング美術館(2)(Groeninge Museum)へ。ノートルダム教会へも行ってみたけど入れなかったので街の周りの風車を見に行くことに。街が卵型の運河で囲まれているので街と外部を結ぶ橋には城門が多く残されている。街中を歩くよりここを歩いた方がよっぽど気持ちがいい。遊歩道も適当に整備されていた。ユースの荷物を取りに帰った後は駅へ向かってブリュッセルへ。 |
255.鐘楼からの景色
雨中の避難
 水門 水門 Vol2
 風車 風車Vol2
はね橋 |
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 ブリュージュ → ブリュッセル |
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ブリュッセル駅に着くとユーロスターの予約をした後、すぐにユースへ電話。何とか開いているみたいなのですぐに出発。 地下鉄を出るとぱらぱら雨が降っているので早足で地図を見ながらたどり着く。部屋に入るとフランス人のおじさんが一人いただけ。お疲れみたいでシャワーを浴びた後にすぐに寝ていたけど。自分はユースであった日本人と夕食へ。歩いて市の中心地へ向かうけどなかなかましなレストランが見つからない。観光客の集まるようなレストランを見つけた頃にはほとんど帰り道は覚えていない。結局夕食はムール貝とビール。腹一杯になった後はユースに直行。結構迷ったけど何とかたどり着く。旅行も後2日。 |
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 9月13日 寒い 普通のホテル   |
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EU本部のあるブリュッセルは、西ヨーロッパの歴史や芸術に大きな足跡を残した古都。
この日は朝から小雨がぱらつくかどんよりした真っ黒な雲ばっかり。旅の最後なのに何とも憂鬱な天気。まず行ったのが サン・ミッシエル大聖堂。まだ開いていなかったけどかなり大きな教会みたい。その後は 258.王立古典美術館(4)(Musée Royal d'Art Ancien)・ 259.王立近代美術館(5)(Musée Royal d'Art Moderne)へ。古典美術館から伸びる道を真っ直ぐ行くと左手にプチ・サブロン広場が見えてくる。公園の向うはエグモン宮殿。更に進むとどでかい裁判所が見えてくる。中にはもちえろんは入れなかったけどでかいです。 260.王宮(3)(Palais Royal)は思いがけず開いていたので入ってみる。夏の間しか公開されていないとか書いてあったけど。中は他の宮殿同様豪家で王室の歴史について展示してあった。ガイドも何もなかったので自分のペースで回れたのもよかったし。そこからはブリュッセル公園を抜けて国会議事堂へ。再度 261.サン・ミッシェル大聖堂(3)(Cathedrale St.Michel)へ。中はお祈りの最中だったけどそれほど他の物とは変らなかった。ここまで来るとどの教会もよっぽどのことがないと一緒に見える。それからは旧市街地の中心地 262.グラン・プラス(4)(Grand Place)へ。この広場は四方がすべて建物で囲まれていてそれぞれが個性的。王の家や市庁舎などかなり古そうで黒ずんでいるし建築様式も周りのものとは全く違う。市庁舎は1402〜55年ににかけて作られたとか。王の家は1515〜25年にかけて作られて一度改装したみたい。この中には世界中から送られた小便小僧の衣装が展示されている。エイズ団体からはコンドームの衣装だし警察官、看護婦、日本からは桃太郎の衣装が送られていた。(倉敷?)そこから歩いて5分程で 263.小便小僧(3)(Manequin Pis)の像が立っている。ここはデンマークの人魚像よりはまし。もちろん衣装を着けていて毎日付け替えられるとか。近くにはお土産屋がいっぱいあって、コルク・スクリューやトランプなど面白いものが多い。トランプはもちろんそれぞれが違う衣装を着けていてお買い得?ガイドブックに載っていたので一応 264.小便小娘(2)(Jeanneke Pis)にも行ってみるけど書いてあるとおりちょっとリアルすぎ。やっぱりおむつの宣伝は男の子でないとだめなのかも。ここらへんから空は真っ黒で雨もぱらぱら。証券取引所、モネ劇場、黒い塔や聖カトリーヌの鐘楼なんかを見ながら時間があったのでオルタ美術館へ。アール・ヌーヴォーの父、ヴィクトール・オルタが住んでいた家とかでなかなかおもしろそう。トラムに乗ってみてもどこで降りたらいいのか分らない。窓も曇っているし看板が小さすぎ。とりあえず適当な場所で降りてみてもやっぱり行き過ぎていたみたい。傘はバックパックの中で、コインロッカーの中。仕方ないので雨が降る中もと来た道を戻ってみるけど一駅もどるだけでもうびしょびしょ。時間も過ぎてしまったので近くの店に入ってフライドポテトを食べながらトラムを待つことに。最悪の天気。待つこと30分程で何とかトラムに乗って中心地に帰ったころにはもう心は宿へ。とりあえずもう一つ最後の観光地に行こうとアントラープへ。 |
 261.サン・ミッシェル大聖堂
261.Vol2
 260.王宮
262.グラン・プラス
 263.小便小僧
264.小便小娘
どっかの教会
ホンダのミニ |
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 ブリュッセル → アントワープ |
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30分程で到着。 ただ駅の外はもっとひどい雨。傘を差してもびしょびしょになるぐらい。もはやユースを探す元気もないし今日の宿がこの旅最後の物になるので一応普通のホテルに泊まる事に。結局駅から歩いて1分のホテルへ。普通のホテルと違ってホテル内にレストランなどといった物はないのでなにか食べ物を探しに外へ出てみる。どしゃ降りでも腹は減る。結局最後の晩餐はマックに決定。何とも情けないけど。部屋に戻ってテレビを見ながらハンバーグを食べても思い出すのは昼間に降った雨ばかり。早く家に帰りたい。せめて明日は晴れてほしいけど天気予報を見ると傘のマーク。せめて最後の日ぐらい晴れてくれ。 |
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 9月14日 かなり寒い ロンドンの家   |
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朝起きて窓から見上げた空からは雨が昨日と同様降っている。 ホテルなのでチェックアウトは12時。外に出ても仕方ないのでホテルでそのままボーとする。このアントワープはルーベンスゆかりの地でルーベンスの家もあるし有名な美術館もある。「フランダースの犬」のネロ少年が見たいといった絵がある教会もあるとか。ただこの日は月曜日でどこも開いていない。ホテルからは出たくない。11時半頃にチェックアウトしてからはそのままブリュッセルへ。 |
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 アントワープ → ブリュッセル |
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ブリュッセルに戻ってからはコインロッカーの荷物を取り出してブリュッセルの南駅へ。南駅からはユーロスターが出ていてロンドンまで直接、列車が出ている。 予想外に観光ができなかったので現金を使うためにお土産屋へ。ここまで来るとかばんの中はお土産でいっぱい。ロンドンから出発した時はバックパックとリュックだけだったのが、帰る時はそれに加えてもう一つかばんがある。予約の変更をして準備完了。さあ帰ろう。 |
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 ブリュッセル → ロンドン・ウォータール駅  |
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 ベルギー人とは?  |
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童話「青い鳥」を生んだ国ベルギー。 面積は九州よりやや小さい小国だけど、EUやNATOの本部のある国。ベルギーの政治でしばしば問題になるのが、北部に住むフラマン人(オランダ語の方言であるフラマン語を話す)と南部に住むワロン人(ラテンの言語であるフラマン語を話す)との対立。極端な例では両民族の間の婚姻関係もない所もあり、ワロンとフラマンの境界線ではわずか300mしか離れていなくとも交渉が全くない所さえある。「言語戦争」と呼ばれているこの対立は、独立以来抱え込んで今もって解決できない長い長い問題で、こんな小さな国に2つの言語を併用しなければならなくなった(ヨーロッパはどこへ行っても民族対立がある所)。国際都市ブリュッセルを持つだけあって英語の習得度はそこそこ高かった。とにかく旅行中の天気が悪かったのがむかつく。(どうしようもないけど)この国で強く記憶に残っているのは小便小僧、ムール貝、それと灰色の空。ベルギー人とオランダ人、デンマーク人の差は?と聞かれても全く答えられないほど急ぎ足だったのでベルギー人の印象は特にない。ただ彼らの言語がフランス語に似ていたのは覚えている。(かといってフランス人のように鼻に付くような奴等ではなかった) |
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ユーロスターは快適そのもので席もかなり空いていた。 車内でパスポート検査がなかったので心臓ばくばく。イギリスの観光ビザはとっくに切れていたのでここで入国するとえらいことになりそう。これまで国と国の移動にはほとんどパスポート検査がなかったので心配(ちらっと見るだけ)。ただ列車を降りた後に税関と入国審査があったのでホッ。イギリスの入国はいつもどうり厳しくて、語学学校の入学証明書などなかったのでちょっとやばかったけど。持っていたのは帰りの航空券だけ(イギリスに入国する時は帰りの航空券を持っていないとかなり面倒です。違法労働者がいるため)。係員曰く「今回は僕がやさしいから入国させてあげるけど...」。まさにその通り。こんな所で強制送還されても困るし。(実際、強制送還された人はいっぱいいる)何とか入国審査を通って汚いロンドンの地下鉄に乗って家まで。地下鉄の駅に足を踏み出して空を見ると皮肉にも快晴。ロンドンはいつも灰色の空で覆われているのが普通なのにこんな日に限って快晴とは。ベルギーが晴れればよかったのに。とりあえず無事に家まで帰れたのに何より満足。とにかく長かったけど一生忘れられない旅とはまさにこのことかも。さあ寝よう。 |